MIXTAPE GENERATION

July 25, 2016 11:43 AM

Go

「ステレオタイプなことはしたくない」 、というアティテュードはステレオタイプだと思う。「ステレオタイプ」 に依拠する、相対的なアティテュードや価値観だから。

ステレオタイプでいたいわけでもいたくないわけでもない。ただ、受け取った時点で付与されている価値をそのまま受け取るのではなく、自分で一つ一つ考えて価値を見極めたい。
その結果が、世の中のステレオタイプという範疇に含まれることであろうかがなかろうが、どちらでも構わない。

自分で決めたい、とはいうものの、他者や世の中の影響を受けたり、信頼できる人の思考を借りるのはアリだと思っている。
自分の脳のスペックでは、全部のことを処理するには時間が足りないし、ナレッジを共有し合って生きるからこそ、世界の文明や思想が発達してきたわけだから。

そんなこんなで、とにかく、まずは自分の考え一つ一つを疑うようにしている。

  • 折り紙はぐちゃぐちゃにしちゃいけないのか?
  • ランドセルでしか一般的にいわれれているランドセルの効果を果たせないのか?
  • こどもはスマホでばっか遊んじゃいけないのか?
  • なぜadidasが良いと思うんだろうか?
  • なぜニトリよりMUJIがいいと感じているんだろうか?

時間の許す限り考えている。考えなきゃ気が済まない。父親譲りの面倒くさい人間になってしまった。

だけど、こどもたちには、やっぱり考える人になってほしい。環境や状況に左右されない絶対的な価値観を自分の中に作ってほしい。「良し悪し」や「勝ち負け」 を、自分の中に(も)作れる人になってほしい。

(も)、と書くのは、自分のメジャー(=価値観)だけを持っておけばいいのではなく、世の中一般的に使われるメジャーもちゃんと持っておいてほしいと思うから。
実際には「一般人」なんて人はいなくて、100人いれば100人の価値観があるわけだけど、正確ではないにせよ、あることに対する価値観の統計的なおおまかな分布具合を感じておけることは大事だと思っている。

人は社会性を持った生き物。基本的には社会やチームの中で生きていく生き物。一般的なメジャーを持っていないと、孤立してしまう可能性が高くなる。共感されない、協力が得られない、誰もついてこない、ということはなかなか深刻な問題だ。 (圧倒的なスキルや金、人徳、カリスマ性などがある場合は例外だけど)

一般的なメジャーを持つためには、他者や他の世界に対してリスペクトを持つこと。オープンでいること。年齢やヒエラルキーや性別や国籍に関係なく。
上から目線じゃいけない。
最低限の礼儀がないといけない。
自分が知らないことを笑っちゃいけない。

さぁ『ポケモンGo』、やってみますか。

July 22, 2016 07:23 PM

パイセン業はむつかしい

師匠が弟子に、親がこどもに、「オレの背中を見て覚えろ」「同じことは二度と言わないからな」というアティテュードで指導・教育にあたるスタイルがある。
実際、自分のキャリアの中でもそんな人たちにたくさん出会っている。

こんな自分でも、上司であったり親であったりするので、「教える」 ということについては何年も悩んでいる。
わかっているのは、自分には前述のようなスタイルの教え方が向いていないということ。
理由がいくつかある。

まずは、自分の場合、そういうスタイルをとることが、どうも怠慢な気がしてならない。キャリアの中で、ある程度 「背中を見て覚えろ」 スタイルの効果も感じてきたので、自分もそのスタイルにチャレンジしたことはある。ただ、自分が「オレのやり方見て覚えて」「ググって調べろよ」「前に言わんかったっけ?」的な言葉を吐くとき、なにかカスみたいなのが胸に残る。

  • もっかい教えるのが面倒だっただけじゃないのか?
  • 二度手間にイラっとしただけじゃないのか?
  • もっとうまく教える方法を持ちあわせていないから逃げたんじゃないか?

こんな考えが頭を巡り、なんだか自分が小さくズルいやつに思えてきて嫌になる。

でも、師匠や先輩や親は、ストレートに「面倒くさい」でもいいのかもしれない。それを態度に出すことで教えられることもあるし、そういう態度で教えた方が効果が高い人もたくさんいる。
それでも自分は、歳や社歴が上だから、その分野においての先行者だからという理由で、「面倒くさいから」をOKにできる自分をあまり好きになれない。

もう一つの理由。これも個人的な体感では、例え教えるのが2回目や3回目だったとしても、面倒でも、時間をとって教えた方が効率がいいし、効果も高いんじゃないかと思う。
単純な話、例えば、あることを知らなかった人がそれを自力で知るまでに1ヶ月かかるとしたら、それを少しの自分の時間を使って教えることで、彼・彼女たちは今すぐに知ることができる。そしたら、彼・彼女たちがそこで得たスキルや知識を使ってなにかにチャレンジできる時間がより多くとれる。
なかなか覚えられない人には、2~3度同じことを教えたっていいとも思う。覚えられない理由が、彼・彼女のやる気の問題なのか、能力の問題なのか、もしくは、自分の教え方の問題なのか。いろいろな理由があるけど、いずれにしても2~3回くらい教えたっていいじゃない、と思う。

自分が、器用に計算ができたり、ものを覚えたりできる人間じゃないからってのも、そう思う大きな理由の一つだろう。

「見て覚えてよ」「前言ったやん」というスタイルの先輩に教えていただいたことはたくさんある。本当に感謝している。
しかし、2度も3度も時間を使って教えてくださった人のことは、もっと感謝している。尊敬している。好きだ。教えてくれた人のことも、与えてくれた知識やスキル(どんな微細なことでも)も、ずっと宝物のように心にとってある。

どっちのスタイルが正解とかいう話ではない。

いずれにせよ欠けてはならないのは「愛」だと思う。
ただ、 意外に「愛」は自覚しづらいようだ。
「虫の居所」も完全に自分のためにやっていることも相手への「愛」だと勘違いしたり、そう思い込もうとしていることもあるし、逆に、それこそが「愛」そのものなのに、本人がそれに気づいていなかったり、認めないことだってある。

「愛」はやっかいだ。ときどきビジブルにしなきゃ、一生一切伝わらない可能性がある。
恥ずかしいけど、たまにはポロりしていこう。

July 16, 2016 12:23 AM

健康には金がかかる

健康に生きる。これはすごくコストがかかることなんだなと最近よく思う。若い頃は、健康なんてタダだと思っていた。
でも、少なくとも今の自分の状況は違う。腰痛治療のカイロプラクティックは1回6,000円。脂質異常症の治療では1回の診察で2,000円(薬代含め)くらいはかかる。採血が必要な検査のときはさらにかかる。財布がみるみる薄くなっていく。

そもそも腰痛も脂質異常症も、これまでの日々の過ごし方次第では、今のような状態にならなかったかもしれないけど、睡眠時間を削ったり、コンビニや松屋に頼らなければどうしても乗り越えられない1日が数え切れないくらいあったし、そんな1日1日をなんとか紡いできた結果、今がある。

でも、それは今生きているから、仕事が続けられないくらいの病気にはなっていないからこそ「しかたなかったやん。今生きてるしええやん」的なトーンで思えてることなんだと思う。
もし今そういった状態になっていたら、やり場のない悔しさを抱え、過去を振り返り、猛省の日々を送っている気がする。
40歳も近くなると、身近に命に関わるような病気を患う人が増えてくる。そういう人たちの当事者しか持ち得ない実感がこもった後悔や反省の弁を耳にすることもある。

そんな言葉を聞いて、これまでのような綱渡りのような生活を続けてはいけない。本末転倒すぎる。

自分にとって何が大事かははっきりしてる。
「忙殺」という言葉は本当に怖い言葉。「殺」とか入ったらあかんで。詳しい語源は知らないけど、大事なものを忙しさで殺してしまってはいけない。

昔の自分には全く想像がつかなかった。
こどもの、口の周りをベトベトにしながらご飯を食べてる姿を見るだけで、大の字でピースカいびきをかいて寝ている姿を見るだけで、無駄に大きく腕を振って大股で跳ねるように歩いている後ろ姿を見るだけで、こんなに幸せな気分になるなんて。 こんな時間が殺されるなんて、辛すぎるやないか。

コストがかかったとしても、まだ生きたーてしゃーないのよ。

July 8, 2016 06:20 PM

描け、描け、描け

「描け」
「描け」
「描け」

と、『かくかくしかじか』(著:東村アキコさん)の日高先生は繰り返す。
最初は、主人公の明子と同じく、この、機械的に発せられているようにも聞こえる言葉の意図がわからなかったけど、最近は(今さらかよ)この言葉の大切さがわかるようになってきた。

日頃、「クリエイターやねんから」とか「それクリエイティブじゃないわ」とか、所謂"クリエイター"として話をすることが多いけど、何年経っても自分をクリエイターと名乗ることに、ちょっとしたこそばさを感じる。特にディレクターになってからはなおのこと。

「クリエイター」 というのは、クリエイティブに思考したり、創造する人だと思ってる。
ハイセンスな服やインテリアが好きなだけではクリエイターでもなんでもない。
美術館に行くだけではクリエイターではないし、イケてる人の投稿に「いいね!」 するだけでもクリエイターとは言わない。
制作会社に勤めている、スタークリエイターと友達だ、力のある先輩にかわいがられている、PhotoshopやIllustratorを使える、そんなことだけでは決してクリエイターではない。なにもクリエイトしてないなら、やっぱりクリエイターではない。

自分が長年感じている、若干のこそばさの根源は、"つくり足りない" という思いなんだと思う。

アイデアがなかろうが、案件がなかろうが、直接手を動かしてモノをつくる職能ではなかろうが、 なにかを考えて、カタチにすることはできる。とにかくつくらないと。

「描け」
「描け」
「描け」

とにかくつくる 。
脳科学の本なんかでよく書かれているけど、感情が行動を起こしてるんじゃなくて、行動のあとに感情が起きているらしい。CAさんの「口角をあげる」トレーニングも同じことで、「嬉しい」 や「楽しい」 の感情の反応として口角があがるのではなくて、口角が上がるという動作に「嬉しい」 や「楽しい」がついてきているらしい。

石橋を壊すほど叩いてちゃダメだ。
タイミングを逸するほどコネコネしちゃダメだ。
さっさとトライしよう。失敗しよう。そしてそれを繰り返そう、続けよう。

July 2, 2016 11:00 AM

カレーうどん

つまらない。
そうじゃないよ。

フツーに遮断してどうする。
フツーに受け流してどうする。
フツーに議論してどうする、

Siri の方がアイデアあるぞ。

会話ってセッションだろ?
なにもずっとボケろ、ツッコめと言ってるわけじゃない。
どんな意見も感情も、セッションを楽しみ、続け、その中で出していくのが楽しいんじゃないのか。
長ければいいってもんじゃないが、3秒で終わらせるのとか、

ナパームデスかよ。

自分がここ数年身を置いている世界には、かしこい人が多い。理路整然としている。それは素晴らしいことだし、見習いたい部分でもあるが、自分にとっては大きな問題でもある。

破壊衝動。頭の中を壁にガンガンぶつかりながら飛び回る。
予定調和。
既定路線。
原理主義。
完璧なレイアウト。
キレイに高く積み上げられたジェンガ。
実際にアクションに至るかは別として、衝動が押し寄せる。壊したい、

『カレーうどん』 の警備員のように。

July 1, 2016 03:13 PM

「旬」

もう7月。10月には38歳になる。
「38歳」ってすごい。高校を卒業してから20年も経つことになる。ハイスタを聴きながら、机の上を埋め尽くすほど落書きをしていた高校生だった自分は、「38歳」についてどんなイメージを持っていただろう。まったく覚えてないけど、たしかなのは「旬なんてとっくに過ぎてる年齢」とは思っていたはず。

実際はどうなのか。38歳を目前とした自分はどんな状態だ。
あぁ、たしかに決して「旬」と呼ばれるような状態ではない。
若い頃抱いていた「旬」のイメージとは、人気クリエイターとして、『トップランナー』や『情熱大陸』に出演したり、デザイン誌でろくろをまわしながら有名バンドのアートワークでも紹介しながらデザイン論を語ってるとかそんな感じ。

残念ながらそれらはまだ訪れていない。

とはいえ、いくつかのハイライトはあった。
20代の中頃、ファッション誌の街角スナップ的なコーナーに何度か載せてもらったり、読者代表として座談会にも参加させていただいた。クリエイターとしては、自分のデザインした名刺が国内外の様々なメディアに取り上げられ、海外の出版社が出している名刺デザイン集にも2回載せていただいた。

でも、それだけ。そしてそれらはもう過去のこと。18歳の自分が抱いていた旬な時代は確実に過ぎ去った。そして今後もこんな感じの旬はもう来ないと思う。

むしろ、もう来なくなったいいと思っている。スネたり悲観しているわけではない。シンプルに「順番」や「時期」の話。
「旬」という言葉には、瞬間最大風速的なニュアンスがある。瞬間的な爆発力が必要な場面もあるけど、大事なのはずっと「旬」を感じれる生き方をしてるかどうかだと思う。
だから、夢を持つのにも年齢なんて関係ないとは思っている。60歳になってはじめて武道館に立つ、なんて夢は最高だと思うし、そんな夢を持っている人は応援したいと思う。

自分の場合は、もうハットトリックを達成してお立ち台に立つことにモチベーションを持てなくなったというだけ。その役目で輝くためのタイミングはもう過ぎた。

今は、こどもや若い子らが、「残尿感」 なく旬を迎え、つっきれるように、何かしらの形でサポートすることにモチベーションがある。完全にこどもができた影響だ。
それを全力でやることで、新しいおっさんになった自分の新たな「旬」が来るのだ。

振り返ってそこにあるのは、全て自分が歩いてきた道。
自分が選び、ときには切り開いてきた道。
いま自分が立っている場所に、自分を連れてきたのは自分自身。
目の前の道を歩き続けるのも自由。
行きたい場所へ向かう道を作るのも自由 。

ということで、アルバム『Making the Road』から、Hi-STANDARDで「Stay Gold」、どうぞ。

June 29, 2016 12:28 PM

みっともなく

先日、4ヶ月の息子がはじめて高熱を出した。夜中に高熱を出して救急病院に駆け込んでさ~、という話はよく聞くけど、長女のときはそんなことはなかったので、実際に我が家にもそれが起きてちょっとだけ慌てた。

こんなとき改めて思う。自分たちは子育てにおいて恵まれた状況だなぁと。ネットで調べればどこに連絡すればいいかすぐにわかるし、夫婦ともに車が運転できるし、いざとなれば妻や自分の親を呼び出すこともできる。
自分が赤子だったころの自分の親は、そのどれもがなかったに等しいから。あの人ら、本当によう育てましたな、3人も。尊敬しますよ。

しかし、親になってはじめてわかったけど、今考えれば親なんて、自分が小さい頃に認識していたような「なんでもわかっている」人間では全然なくて、「親」業 においては完全にド素人だったんだな。しかも、自分より若い年齢で「親」 業をやっていたわけだから、そりゃ手探りだったんだろうなと。尊敬しますよ。

しかも、その当時はディスられることもあったという「共働き」で、週休1日の時代だもん。本当、昔の親たちはすげぇな。尊敬しますよ。

自分らの子は、自分らの「親」 業っぷりをどう思ってるやろか。大人になってどう思うんやろか。
そう思うと、あまりダサいことはできないし、言いたくない。かといってカッコつけるのはいやだ。
なんか、みっともないくらい必死やったけどいつも楽しそうやったな~って思ってもらえたらいいな。

June 24, 2016 05:43 PM

ゆるく、ながく

最近、なぜかブログを見返す機会が多くて、その時々の思いをブチまけてるってのもいいもんだと思った。
昔の記事を読んでると、痛々しいモラトリアム野郎全開の内容ばかり。しかし、それも不思議といいもんなんだな。少しは大人になって余裕ができたのか。

今の会社に入社した2009年8月までは、2~3日に1回くらいは更新してたけど、それ以降は急激に頻度が減り、多くて年に1回、何か特別なこがあったときくらいしか更新しなくなった。
まぁちゃんとブログとして生き(活き)いてたのは、もう7年近く前ってことだ。

なんで、書かなくなったかと考えると、いろいろ要因がある。

  • シンプルに、書く時間がない
  • TwitterやFacebookがある程度代用できた
  • 仕事の都合上、好き勝手に書けない(気がした)

などなど。

でも、なんでまた何か書いてみたいと思ったか。

  • 家族ができてから、書き残しておきたいことがたくさんある
  • TwitterやFacebookで代用できないことがある
  • 書く内容が及ぼす仕事への影響を、ある程度わかるようになってきたっぽい
  • 仕事をしていて、ブログを書いていた経験が活きる場面が多々あった
  • モヤモヤを書き出しておきたかった

などなど。

一番大きいのは、家族のこと。本当にこれは大きい。
こどもが生まれてから劇的な環境や考え方の変化が起きた。信じられないスピードで成長していくこどもたちとの日々の中で、はじめて知ったことや、数十年ぶりに思い出したレアな感情がたくさんある。「この感情を忘れてはいけない」「いや、こんな強烈な体験を忘れるわけない」なんて思ってるのに、自分がバカなのか適当な人間だからなのか、どんどん忘れていっている。流されていっている。
それを非常にもったいないことだと感じていた。昔ならブログに書いてたのになって。

また書きはじめるのは、誰にも見れらない日記でもいいのかもな、とか、noteで書いた方がオシャレなんじゃないかとか、いろいろ考えたけど、そんなこと考えていたらまた機を逸するので、とりあえずは、どうにかダラダラ生きながらえていた自分のブログで書いていこうかなと。一応10年以上続いているわけだし。
誰かに読んでほしいと思えばそういうところで書くし、手書きのノートでいいやと思ったらそうするかも知れないし。

目指すは、ゆるく、ながく

August 3, 2014 01:25 AM

また会いましょう

父が亡くなりました。72歳でした。よくわからないのですが、「享年」ってので言うと73歳になるらしいです。

2009年の11月に膵がんの手術を受け、そこから4年と8ヶ月くらい、その間にできた4人の孫に囲まれ、力いっぱい楽しんで生きたと思います。

癌の転移が広がり、最期のときまであと数日と診断され、自宅での介護も限界になって、緩和ケアの病院に入院したのが7月中旬。

母曰く、父も自分の残りの命をある程度知っていたようで、7月末に1歳になる僕の娘の誕生日を祝ってあげれないことを非常に残念がっていたそうです。
本当に孫たちが大好きな父でした。

父はよく喋るタイプではなく、どちらかというと背中で語る感じの人でしたが、そのかわりに飲んでるときは必要以上に熱くうるさく語る人でした。
今、僕が人として、社会人として、一家の大黒柱として大切だと実感していることのほとんどは父が教えてくれました。
例えばこんなこと...


  • 家族や兄弟を思いやる気持ち
  • 周りの人への感謝の気持ち
  • 弱きを助け強きをくじく
  • 郷土を愛する心と沖縄の素晴らしさ
  • ゴミをそこらへん(道ばた的なところ)に捨てはいけない

こどもの頃からうるさく言われてきたことばかりですが、社会に出て、仕事をして、家族やこどもを持ってはじめて理解できたことがたくさんあります。というか、ほとんどがそうです。

「弱きを助け強きをくじく」なのか、反骨精神なのか、ただのひねくれ者なのかわからないのですが、父の性格をあらわすエピソードがあります。

父自身ももう残りの命が少ないと知っていた2ヶ月ほど前、テレビで天気予報士が「あいにく明日は雨で...」と言ったことに反応し、母にテレビ局に電話させ、「雨がさもみんなにとって悪いことであるかのように言うのはいかがなものか」ということを言ったそうです。(実際はもっと粗い言葉だったと思いますが...)
母に聞くと、昔から父は雨が降ることで農作物が育ち、農家の人の仕事が成り立ち、自分たちの食生活も豊かになっているのに、雨を悪者扱いするというのはおかしい、と憤っていたそうです。
ホンマにややこしい人です。

また、幼児が強姦や虐待によって命を奪われるような事件があると、「俺がこの子たちがこの世にいたことをおぼえておいててあげてないと」と言って、新聞記事をスクラップしていました。

人から見ればだいぶ変わった人かもしれませんが、僕はそんな父からいろいろなことを学びました。

上記のようなこと加え、父は、余命を宣告されてから亡くなるまで、そして亡くなってからもいろいろなことを教えてくれました。


  • 父にとって仕事(建設業)は生き甲斐であり、人生のハイライトだった(っぽい)
  • 兄弟がいることの心強さ
  • 孫の存在の大きさ
  • お通夜・お葬式には結構お金がかかる
  • 家族が危篤状態だからといって、ずっと気が張りつめていたり、気分が落ち込んだりしているわけではなく、意外と冷静で、冗談が言えたり、鼻歌を歌えたり、エロいことを考えたりできる

癌患者の多くは、終末期に「せん妄」という意識混濁による幻覚や錯覚をみる状態になるそうです。
父も大小程度の波はありましたが、せん妄状態が続きました。

せん妄状態のとき、父が何度か僕や弟のことをかつての部下や後輩と思い込み、「みんなの分のコーヒーは?俺のは?」と言いました。
父と一緒に働いたことのある弟曰く、父はよく仕事の休憩時間に部下や後輩に缶コーヒーを奢っていたそうです。

あるときは「アチチチ!」と手をぶるぶる振ってみせ、母が「父さん、どうしたん?」と尋ねると、父は「溶接をしていて火傷した」と答えたそうです。

またあるときは、仕事中の僕に電話をかけてきて、「早く現場に来い。現場にこい」と言いました。

他にも、幼少時代に戻ったのか突然ウチナーグチ(沖縄の言葉)で話し出したり、父が大好きだった酒場にいるつもりらしく、「マスター!」と叫び出したりすることがあったのですが、でもやっぱり仕事に関するせん妄が一番多かったように思います。

僕ら兄弟はそんな父の様子をみて、父にとって仕事というのは、食い扶持であるのはもちろんのこと、生き甲斐であり、誇りだったんだと知りました。

僕は幸いなことに、父が息をひきとる瞬間に立ち会いました。
そのとき、息をひきとった父の腕の上で涙を流す母の姿を見て、父は僕の父である前に、母にとって最愛の人であるとうことを実感しました。
僕の父であるというストーリーの前に、母との出会い、愛を育み、ひとつ屋根の下で暮らし始めるまでのストーリーがある。
その前には、沖縄の伊是名という小さな島から本土にやってきて、僕らがそうだったように、社会にもまれ、悩み、夢を見て、恋をして、という青春のストーリーがあり、そのもっと前には、お姉さんにおんぶされて防空壕に逃げ込んだ赤ちゃんだった頃のストーリーがあり、そのもっともっと前には祖母のお腹の中にいたんです。
僕が知っている僕の父としての35年だけが父の人生ではなく、僕が知るずっとずっと前から、たくさんの苦労や努力や楽しさを積み重さねてきた、誰の人生とも比べることができない尊い72年という時間が父の人生なんだということに、はじめて気づきました。

そんな父の、汗や涙にまみれ、愛に溢れた、素敵でカッコいい人生は、医師も驚く頑張りをみせ、宣告された余命を何度か裏切り、僕の娘が1歳になった日の朝、静かに幕をおろしました。

僕は「理津の誕生日まで頑張ってくれたんやね」と言っていましたが、母は「お父さんは寂しがり屋やから、みんなにおぼえててもらえる、りっちゃんの誕生日を自分の最後の日にしたんちゃう」と言っていました。
オカンが言うなら間違いないわな。

父さん、72年間、ホンマにお疲れさまでした。
ありがとうございました。
父さんのこどもで本当に良かったです。
また会いましょう。

DSC_0051.JPG
父の腕には、お気に入りのAIR JAMリストバンド(笑)

September 23, 2012 11:34 PM

CDラック made by あつらえ家具製作所 カグマサ

お久しぶりでございます。これは是非ブログでご紹介したいということがあり、久しぶりの更新でございます。

CD好きにとって、こうバァーッと全CDを壮観に見渡せるCDラックってちょっと夢じゃないですか? そんなCDラックが我が家に届いたのですよ!

IMG_1757.jpg
ドォーッン!ド迫力。倒れてきたらヤバいデカさです。

初めて買ったCDが渡辺美里。そこから人並みに音楽が好きになり、B'zとかTRFとかミスチルとかビートルズとかサイモン&ガーファンクルとかカーペンターズとかスキャットマン・ジョンとか聴いてたやつが、ハイスタに出会ってPUNKを知り、そこから一気にHARD COREだ、Skaだ、HIPHOPだ、Mixtureだ、Emoだ、BIGBEATだ、UK Rockだ、オールディーズだ、いや、やっぱりJ-Popだっつってどんどんどんどん音楽にハマっちゃって、なけなしの金でCDを買うのが止まらなくなり、それが15年くらい続いたら、気がつけばCD約1200枚。
これは、自分の人生の半分そのものとも言えるっしょ。

その歴史を俯瞰で眺められるCDラックがほしい!と思って探し始めたんだけど、これが意外に自分の思う価格やデザインのものがない。これ以上探すのも疲れるし、持ってるCD全部が収まり、予算内で70点くらいのデザインのものであればそれでいっかぁ、なんて思ってたところ、ふと立ち寄った大丸梅田店内の東急ハンズで、「あつらえ家具製作所 カグマサ」なるブースを発見。
そこには、数々の木工家具が並べておられており、その傍らには、VANS×メガネの兄ちゃんが立ってる。
あつらえ家具なんて自分には無縁だと、一旦はブースの前を通り過ぎたものの「いや、話しを聞くだけでも...」と思い直し、ブースに戻って兄ちゃんに話しを聞いてみることに。 差し出された名刺には「あつらえ家具製作所 制作者 近藤賢」と書かれている。

近藤さんにいろいろと話を聞いてみると、予算と要望を伝えると、予算内でできるものをご提案いただけるとのこと。これはアリなんじゃないかと思いつつも、「でもやっぱりお高いんでしょう?」というテレフォンショッピングのフリみたいな疑問が拭えず、一旦検討事項として持ち帰ることに。
それから何日か悩み、「ま、ダメもとでお願いしてみたらええか!アカンかったら70点くらいのラックを買えばええし」と思い、メールで予算と要望(+ラックを起きたい場所の画像)を伝えてみた。すると、早速「できます」との返答。
そこからは、能勢の工房から尼崎の我が家までわざわざ来て頂いて打ち合わせ、ラフデザイン(図面や素材や色味など)のご提案、制作、納品と、ほぼメール連絡をベースに、非常にスムーズに進みました。

で、肝心の商品ですが、大満足の出来です。今ある無印のウッドシェルフの上に乗せれて、色味も合ってて、1,500枚のCDが収めれるCDラックがほしい!という要望を全て反映して頂けました。

DSC_0009.JPG
圧巻です。まだまだ入るで。
IMG_1760.jpg
ッツヤツヤ

カグマサのブログに、僕のCDラックの制作過程がポストされているので、参考までに読んでみてください。

カグマサBLOG

これらを読んでると、自分は完全にコストオーバーな要望をして、近藤さんはコストオーバーの仕事をしてくれたんだな〜と容易に想像がつきます。熱く、手間暇かけて、試行錯誤して作ってくださったんだと感謝感謝です。

家具なんて何年も何十年も使う物。自分の思う予算やデザインのものがないからって、60〜70点くらいのものに何万円も出すってちょっと悔しいじゃないですか(あやうく、そうしようとしてたんですけど)。
「あつらえ家具」なんて聞くと、すごく敷居の高いものだと思いがちですけど、今回お願いしてみて、結果全く高いとは感じませんでした。量産される既製品より少し高いのかもしれないけど、それでも完全に自分の要望に合わせたものを作って頂けたのだから大満足です。

欲しい家具(木工製品全般?)があるけど自分の要望を満たすものが見つからない、コストに合うものが見つからない、そんな人は一度『あつらえ家具製作所 カグマサ』の近藤さんに相談してみてください。

あつらえ家具製作所 カグマサ

余談

近藤さんは音楽をやってらして、しかも、昔は「Damage Down」というPUNKバンドをやっていて、僕が聴いていたバンドと一緒にライブをしたりオムニバスCD(『MIX NUTS VOL.1』)に参加していたりと、かなり趣味的に共通した部分がありました。僕が東急ハンズでVANS×メガネにピンと来たのは、この辺の空気感だったのでしょう。
当時、GREEN DAY、RANCID、NOFXなどのUS勢が席巻する中、LEATHER FACEやSNUFFみたいな少し湿りっけを帯びたUKメロディック系の、モテない方のPUNKをやられてたという渋いセンスもナイスです(笑)