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MY ROOM IS MY WORLD | 2005 November
最近、感傷的になることがよくある。
- クラスメイトとの別れ。連絡先もわからず生活圏も全く違う人なんかは、恐らく今後会うことも無くて。例えあまり言葉を交わしたことのない人でも、もう会えないのかと思うと寂しくなる。
- ガンバ大阪vsジェフ千葉を観にいった時に行われいた松波選手の引退セレモニーを観て、13年間1つのチームで戦い続けた男の背中に哀愁を感じた。
- 家のドアを開け、風をうけて気温や匂いを感じたとき。何故か、小学生から高校生までにかけてのことをよく思い出して、ノスタルジックな気分に。季節初めによく見られる傾向。
- キング・オブ・ホームドラマの『ちゅらさん』はもちろんのこと、『探偵!ナイトスクープ』の感動系の依頼の回や、『ウルルン滞在記』、『田舎に泊ろう!』みたいな番組でも、人の温かさを感じて涙がでてくる。(ひどいときは、『ウルルン滞在記』や『田舎に泊ろう!』の別れのシーンだけしか見てなくても涙がでる。)
- 地元の商店街を通りがかったとき。あぁ、みんなそれぞれに暮らしがあるんだなぁとか、すごく当たり前なことを実感してジーンとする。
以前からこんなことはあったけど、最近特に、切なくなったり、悲しくなったり、感動したり、と何かと涙もろくて、「あれ?俺ってオッサン?」なんて思うことが増えてきた。
推測するに、自分自身が歳を重ねたこと以外に、恐らく、離職したことによる急激な生活のスピードダウンが大きく関係しているのではないだろうか。
離職前、生活の70~80%くらいは仕事、もしくは仕事に関することだった気がする。それは自分自身の仕事における要領の悪さが原因でもあるし、いろんなことを吸収したい時期だったこともあって、自分の時間の多くを勉強に費やしていたということも原因の1つにあると思う。それはある意味すごく充実した時間でもあったのだけど。
しかし、すごく大事なものも欠けていた気がする。
忙しさから、軽い口約束程度のことなら忘れていたり、ずっと後回しにしたりしていた。性格上、貰った電話やメールを返さないってだけでも嫌なんだけど、それも何回かあった。忙しいとかしんどいとか、自分の都合で友達を蔑ろにしてしまうことがすごく嫌だった。逆の立場なら「仕方ないよ、忙しいねんから」って思えるんだけど、自分がそうするのは許せない。
納期に追われる仕事なので時間もみるみる過ぎていった。製作現場の性質上、ずっと社内にいるので季節感もまるでない。家以外の記憶は、家から会社までの道程だけ。気が付けば、桜が咲き、Tシャツを着て、もうクリスマス。そんなことに思いを馳せる余裕なんてなかった。
それが離職した今は、上に挙げたようなことで、切なくなったり、悲しくなったり、感動したりできる。
周りの状況はさほど変わらないのに。やっぱり、いろんなことを感じる余裕があるんだろうね。それが仕事をしていたら全く......いやぁ、僕ってキャパ少ねーわ。
切なくなったり、悲しくなったりって、あまりポジなイメージじゃないかも知れないけれど、今はそんなことを素直に感じれることが嬉しいんだな。あぁ、平凡な日常にもこんなにもいろんなことが起きているのか、と。
先週の土曜日だったかな?深夜に『太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。』という番組が放送されていて、チラっと番宣を見たところ面白そうだったのでビデオに録っていた。
内容は、爆笑問題の太田光が総理大臣になり、過激な『日本大改造マニフェスト』(というか新法案)を掲げ、それについて、政治家、アメリカ人、芸人、コラムニスト、女優、グラビアアイドル、帰国子女、一般人などの論客を向かえ議論していくというもの。
その過激なマニフェストとは、
- 国会議員の立候補禁止!国民推薦制導入
- ハリウッド映画上映禁止
など、一見どれも理解し難い案なんだけど、一応バラエティ番組ということもあって、太田の考えを突き詰めた極論だろうね。
実際、僕個人的には太田の言っていることには共感できる部分がたくさんありましたね。
1つ目の『国会議員の立候補禁止!国民推薦制導入』は、立候補で国会議員候補を決めるのではなく、国民の推薦により選出していくというもの。
もちろん、太田はこんな法案を本気で推し進めようとしているわけではないでしょう。守りもしないマニフェストを掲げ、当選すれば汚職や癒着にまみれていく、政界の体質を批判するために提示されたものだろうね。
それに加え、この制度の利点として、推薦制を導入することにより、有権者が日常の中で常に議員候補を吟味するようになるということ。これは、僕自身も含めた、有権者の国政への関心度の低さや、組織票に加担する無責任投票への警告じゃないだろうか。
2つ目の『ハリウッド映画上映禁止』は、"勧善懲悪"のハリウッド映画を上映禁止にするというもの。
これも、アメリカに売りつけられた文化、価値観を、何の疑問もなく受入れていく風潮への警告として提示されたものだろう。実際、太田はギャグ混じりに「私はハリウッド映画大好きですよ!」なんて言ってたからね。ただ、全て受け入れていいの?ってことでしょ。
番組中では取り上げられなかったので個人的に補足すると、ハリウッドは常にアメリカ国民の戦意を駆り立てるための、言わば『戦意高揚映画』を作り続けていると言われていることが、この問題提起の背景にあると思う。
東西冷戦時の『ロッキー4』ではロシア人ボクサーと戦い、『ダイハード』ではアメリカに進出していく日本企業が標的に、『インディペンデンス・デイ』では宇宙人を相手にアメリカ大統領がヒーローに。
そんな"アメリカ最高!"を何の疑いもなしに全て受入れていくのか? アメリカが正義なのか? 世の中は正義と悪だけなのか? そういった観点からの、太田なりの問題提起だろう。
番組中では、アメリカ人の論客がいたことから論点が大きくずれ、"アメリカ"という国について激しく議論された。
驚いたのは、そのアメリカ人ジャーナリストが「アメリカは正義だ!世界の警察だ!」「ブッシュこそリーダーだ!」「イラク侵攻は間違ってない!」なんてハッキリと言ってのけたこと。かなりショックだったね。もし、これがアメリカ国民の声を代表したものならば、世界はかなり危険な状況だよ。これらの発言には太田も激昂し、「大量破壊兵器もなかったし、実際にイラク侵攻で殺されたのは一体誰だよ!」とか「ブッシュこそテロリストだろ! 小泉はブッシュの子分だよ!」なんて言っていた。アメリカには、『華氏911』のマイケル・ムーア監督や、NOFXやSYSTEM OF A DAWNといった反体制的なメッセージを発信するバンドがたくさんいるけど、日本の芸能界に身を置く一有名人が、ここまで激しく、ハッキリと自国の首相を批判しているのは初めて見たね。政治的思想に賛成する・しないは別として、体制を恐れずに自分の意見を主張している姿を見ていて、胸がすく思いだった。
この番組は、後1回を残す全2回の企画らしい。残念!
ちなみに、僕は、アメリカの映画やバンド、カルチャーが大好きだけど、何でもOKな訳じゃない。太田光と同じく、アメリカの掲げる大義名分や愛国心にはかなり疑問がある。
やっぱり『吉本新喜劇』は面白いわ。
僕のお気に入りは安尾信乃助。デビュー当時からのお得意「初めまして。私、安尾と申しますか?」の疑問ギャグも、何故かデビュー当時より面白くなってきているように思うのは僕だけでしょうか?最近は、どつかれて舞台袖まで転がって行って、逆サイドの舞台袖から転がって出てくるギャグをやってくれないのが少し寂しいです。
最近、テレビで見たり友人の話で再認識、いや、正確に言うとやっと認識できたという方が正しいのか、関西圏以外の方は生活していく上で、そこまで"笑い"を重要視していない方が多いらしいということです。だから、関西人にいちいちツッコまれたりするのがすごく不快に感じるらしいです。
これに関して、超個人的見解で少しだけ弁解させて頂くと、たぶん多くの関西人は、ツッコまれることによってその場に笑いが起これば、自分の失態を晒されたにも関わらず、"おいしい"と感じてしまうからだと思います。だから自分でも、ツッコまれどころなんかは大袈裟にして見せたり、ツッコまれるまで待ってたりしてしまっています。
しかし、下手なツッコミにより"お笑い巻き込み事故"を起こされた場合は、容赦なくソイツのお笑いセンスを非難するわけです。その逆もまた然りで、ここぞというボケを台無しにするようなツッコミも許されない訳です。
『吉本新喜劇』の影響も大きなものでしょう。
僕も最近知ったのですが、小学生の頃、まだ週休二日制じゃなかった土曜日は、昼前までの授業が終わると急いで家に帰り、『吉本新喜劇』を見ながらお昼ご飯を食べていた、という自分の体験を、かなり多くの関西人も体験していたという事実です。統計をとる範囲としてはかなり狭い範囲ですが、自分の育った街以外で育った違う年代の方もそうおっしゃってたので、さほど間違ったデータではないと思います。
そんな絶対的支持率を誇る、『吉本新喜劇』では、通常タブーとされる身体的な特徴は必ずネタにされるし、本人もネタにする。誰かがボケれば、舞台上の人全員がズッこけ、すかさずツッコむ。大阪の日常を舞台にそんな光景が繰り広げられ、見ている小学生たちの頭に刷込まれていく。そして小学生たちは、当然の如く学校でもその光景を展開していこうとする。もちろんツッコまれる子の気持ちなど考えずに。もちろん自分がツッコまれ傷つくことだってたくさんある。
そうして、子どもの頃から厳しい環境でサバイブしてきたことは、多くの関西人に見られる"無神経"、"勘違い"ともとれる"お笑い病"の大きな原因であると思われます。あと、少なからず全国に名を轟かせる"お笑いシティ"の大看板を背負うプレッシャーもあるでしょう(え、ない!?)。
そんなこんなで、関西以外の違う土地の人が、ツッコまれることに嫌悪感を感じることをあまりリアルに実感できないのだと思います。
もちろん、サッカーが下手でコーヒーが嫌いなブラジル人が存在するように、関西人にもお笑いが嫌いな人はたくさんいるし、だいたい僕を含め、自分が一番面白いと勘違いしているヤツなんて山ほどいます。
なので、関西人のしょーもないお笑いセンスに心を傷つけられた方は、容赦なくソイツを非難してあげてください。アナタに"おいしい"と思わせることのできなかった責任があるのです。激しく非難されるぐらいのリスクを背負わないとボケたりツッコんだりする資格はないのです。
ちなみに僕は、なかなかのツッコミ好きです(すいやせんっ!要は揚げ足取りっす!)。日常なんてツッコミどころ満載です。
僕は、いつも最寄りの駅まで徒歩で向かうのですが、その途中に公園があって、朝、通りかかると、ちょっとした阪神パークぐらい動物まみれの瞬間があります。カラス、スズメ、ハト、猫、犬、ビールを飲むオッサンなどで占領されています。その公園の中に会館のような建物があるんですが、いつも屋根に大量のハトが並んで留まっています。
先日も、しばらくその光景を見ていると、ハトが一斉に飛び立ちました。
ああ、どこか遠いところに行くのかなぁ、なんておセンチな気分になっていると、ヤツらは大きく弧を描き一周して、また元の位置に綺麗に並んで留まりました。
もうね、本当ズッコけようか迷いましたよ。「行かへんのかーーーい!」みたいな。その時のハト達の白々しい顔と言ったら...。めだか師匠がスーツを脱いどいてすぐ着るギャグを思い出したよ。
電車の中で、あれが『吉本新喜劇』ならビールのオッサンがベンチから転げ落ちて、知らんオバハンにビールをぶっかけてくれたのになぁ、なんて考えてましたよ。
そう、僕もかなりイタいイタい"お笑い病"患者なんです。
だから、関西人、関西人じゃない方に限らず、ツッコミ不要の方は事前におっしゃってくださいませ。できるだけ配慮してお喋りさせて頂きます。
昨日、OCEANLANE、BUDDHISTSON、CARTEL(from US)の3バンドのライブに行ってきた。
平日だし誰でも知っているようなバンドでもないんで、なかなか誘う人もいないし、そのまま帰ればサッカー日本代表の試合も見れるんで、行こうかどうか迷ったけど、職に就いていた頃はなかなかライブに行けなかったので、今のうちに!と思い、行ってきた。
どのバンドもすごく良かったけど、BUDDHISTSONがハンパなく良くて、期待以上のものを見せてくれた。感動したよ。ビューティフォーボイスなことこの上ない。漫画『BECK』のコユキが実在するとしたら、絶対この声だと思うね(アニメ版のヴォーカルシーンを担当したHUSKING BEEのドンドンもかなりええ声だけどね)。
しかし日本にこんなバンドがいたとはなぁ。外国でもツアーしたりフェスにも出演しているみたいなんで、決してオリコンチャートで大ヒットするような音楽性のバンドではないけれど、これからも精力的に活動していって欲しいな。
ライブを見てて思ったんだけど、僕が凄く感動したように、そうやって人の心を動かすことができるのって凄いことだと思う。
歓喜させ、癒し、時には攻撃性を呼び覚ますことだってある。
それはライブに限ったことではない。CDなどの音源はもちろん、本だって、映画だって、デザインだって、人の心を動かすことはできると思う。
僕に関して言えば、何か自分の創ったものに触れた人が、大笑いしてくれたり、元気になってくれたり、自分にも出来るかも!なんて思ってくれたら最高だと思うね(仕事なら尚更!)。自分がいろんな素晴らしい創作物に触れて、そう感じたように。
まぁそれがそう簡単なことではないんだけどね。"センス"という曖昧な定義は置いておくとして、ハンパな気持ちでクリエイトしたものはすぐに見抜かれるんだから。
それはどの仕事でもそうじゃない?営業も、学校の先生も、看護士でも、何でもさ。
いつか、そういった意味でも満足できる仕事がしたいもんですな。
僕は時々、自分のお気に入り、またはお勧めの曲を集めたCDを作ります。
結構昔から続けています。
CD-Rを焼いて、ジャケットや盤面のデザインをして、インクジェットプリンタでプリントアウトして、カッターでトンボに合わせて断裁して、折り曲げて、指紋が付かないようにCDケースにセットして。一日中これを繰り返す日もある。CD-Rなんて無かった頃はカセットテープだったんだから!
それでも、毎回10~15セットぐらい作っては友人や友人の友人に配っています。
今まで、貰う人の迷惑も顧みず...ん?何が迷惑やねん! まぁどっちにしろいろんな機会にCDやテープを作っては配ってきたわけですが、最近、何故自分がそんなことをするのかを考えるようになりました。昔からちょくちょく考えてはいましたが、いつもはっきりした答えを見つける前に考え疲れ、いつの間にかそんな疑問は忘却の彼方。一体何が俺に一日中CDを焼かせるんだ!?
なので、こういった記録に残るような場に答えの断片を書き残しておきたいと思います。
主な答えの断片は、
- 音楽に対する知識や、コレクションをひけらかしたいという自己顕示欲みたいなもの
- デザインにおけるセンスやスキルをひけらかしたいという、これまた自己顕示欲みたいなもの(センスやスキルなんてございませんよ!)
- 自分の好きなモノを相手にも好きになってもらいたい、または共感して欲しいという気持ち
- 単純に完成したテープやCDを聴いて楽しんでもらいたい、またはデザインを見て楽しんでもらいたいという気持ち
などなど。
よくよく考えてみると、こういったことに限らず自分が誰かの為に何かをする場合、その理由は単純に相手を思いやる気持ちだけじゃないことが多いことに気づく。こりゃあ結構な確立で、自分をよく見せようとしたり、変なアピールが入ってるんですよ。イヤらしい子ね、全く!
まぁどっちにしろそれに対して相手が喜んでくれたならそれでOKなんでしょうけど、CDの選曲をしたり、デザインをしたりとクリエイティブな作業をする上では、この自己顕示欲みたいなものは、純粋にクリエイティブな作品を生み出すのにかなり邪魔になる。自分ではなるべく客観的になり、そういった部分を排除しているつもりではいるけど、ほとんどの場合、それを全部打ち消すことはできていない。後で完成品を聴いたり見たりすると、本当恥ずかしくなる。うわ~、魂胆見え見えやん!バリ、アピってるやんコイツ!みたいな。
まぁそういった製作時の自分のイタい部分も含めたパーソナルな部分が作品に反映されるという点も、クリエイションの魅力の一つではないでしょうか。
















