『スタートライン~涙のスプリンター~』というドラマを見ました。
『世界ふしぎ発見!』がアインシュタインをフィーチャーしたものだったので、相対性理論がよくわからない僕としてはどっちを見ようか迷ったんですけど、僕の青春系一押し俳優である山田孝之くんと鈴木杏ちゃんが出演していたので、『世界ふしぎ発見!』はビデオに録ることにしました。
内容の方は、オリンピック出場最有力候補の短距離走選手が、余命が残り少ないことを宣告され、一度は夢を諦めるも、盲目の少女ランナーと出会ったことにより、少女とともにパラリンピック出場という新たな夢を見つける、というもの。日本パラリンピック委員会推薦ドラマということもあって、ひねくれた言い方をすれば感動させる気満々のドラマですよ。
で、結果的には、もろ術中にハマってしまったわけなんですけどね。
正直ベタベタな設定だったんで、少し先入観があったんですけど、結局泣いてしまいましたよ。ボロボロに。織田信成くんに勝るとも劣らないぐらいの泣き顔でしたよ。いや、やっぱあれは真似できねーわ。すまん信成。
いやね、今回、ここでその感動ストーリーを伝えようってことじゃないんですね。
ドラマの中で、すごく気になったセリフがあったんですよ。
盲目のランナーの場合、"ガイド"と呼ばれる、ランナーにとって"目"の役割をする人とコンビを組んで競技します。ちなみにドラマの中では、盲目のランナー役を鈴木杏ちゃんが、短距離走のオリンピック出場最有力候補だったガイド役を山田孝之くんが演じていました。
ランナーとガイドは、50cmの白い一本のロープをお互いの手に握って一緒に走るんです。ガイドはランナーに走行距離や順位を伝えたりと様々なサポートをします。しかし、ガイドは決してランナーのスピードを上げるために、後ろから押したり、前を走って引っ張ったりしてはいけないんです。それがルールなんです。
そのルールをね、山田孝之くん扮するガイド役の青年がこんな風に表現していたんですよ。
「助けを押しつけてはいけない。しかし、助けを求められた時には手を差し伸べる。それは、障害者と健常者のあるべき関係を指し示しているのかも知れない」
という風に。
後から、「それは障害者と健常者の間においてだけではなく、どんな人との関係においてでもそうではないだろうか」と付け加えられるんですけどね。
別に異論とかそんなんじゃないんですね。どちらかと言えば、やっぱそうやんな!みたいな、考え方が一致したことによる喜びの方があったんですよ。
しかしね、全ての人に対してスタンスが通用するのか?という長年の疑問は当然のことながら解決できないわけで。いろんな性格の人がいますからね。
例えば、ドラマの中で、「全ての人が助けを必要としていると思うな。半端な気持ちでの助けなんていらないんだ」みたいなセリフがあったんですよ。
これが、まさに今まで僕を悩ませてきた言葉なんですよ。
僕が、障害者、健常者、子ども、老人、友だち、他人に関係なく、相手が助けを必要としていると感じた時に、さっきのような言葉が頭をよぎるんですよ。本当に助けを必要としているのか?余計なお節介ではないだろうか?親切心の押し売りではないだろうか?僕の自己満足ではないだろうか?下心があるんじゃないだろうか?とかね。
もし、こんな気持ちが自分にあって、相手にそれが伝わってしまった時って、相手にとってはハンパなく迷惑というか、ムカつくと思うんですよね。
だから、手を差し伸べるってことに対する瞬発力が無いわけですよ、僕には。
以前、コンビニで働いていた時に、混雑した店内に目の不自由なお客さんが入って来られて、少し困った表情をしていたので、声をかけて買い物の手伝いをしたことがあったんです。
こんな話をしたら、いいことしたね、とか思われるかも知れないけど、僕はそれをしたことによって、自分の瞬発力の無さや、ものすごくイヤらしい部分を見た気がして、その時は少しヘコんだんです。俺ええことしたわ~、なんて少なからず思ったんですね。そんな風に感じることが、悪いことなのかは今もわからないけど、その時は、そんな風に思ったことがすごくイヤらしく感じたんです。
そんなこともあって、積極的に手を差し伸べるってことができなくなった気がする。
でも、年月が経って少しオッサンになり、こう考えるようになったんですよ。
「あの時、あの人に声をかけられなかった方が、後悔していたやろうな」と。
だから、自分の気持ちに不純物が混じってるかも知れなくても、まぁとりあえずは声をかけていこう、と思うようになりました。
それで断られればそれでいいし、力を貸して欲しいと言われれば力を貸す。とりあえず声をかける。極めてシンプル。
シンプルだけど、これがなかなか難しい。うまく行かない。勇気もいりますし。
家族とか友だちのような、性格を知っている人に対しての方が難しい場合もありますし。
声をかけて断られても、「いや、アイツは本当は助けを必要としてるんだ」とか「いずれわかってくれる」みたいな、勝手な推測を立てて余計なお節介をしてしまう。
でも、そこには他人にはない愛情とか友情が確実にあると思うんです。
だから、例え僕の助けが迷惑でも、その部分だけはわかってくれると思ってるんですよね。
実際、僕がそうだから。いろんな人のお節介に助けられてなんとか生きてますから。
やっぱり、これもLOVEの押し売りなのかな?
そもそもLOVEって何よ?
What's?
何でLOVEの話になってんのよ!
ってか俺にもちょーだいよ!
いらん!男子のは!女子のんがいいの!
......ホント、クリスマス前に悲しくなりますよ。
コメント
says
u_ziq>>
瞬発力ないなー。だいぶマシにはなってきたけど。でもやっぱ社会に出ることによって、自己防衛というか自分のことで精一杯で、周りに気を配れなくなったようにも思うなー。要は、心のキャパが少ないだけなんだけど。
でもね、その瞬発力を鈍らせる葛藤の原因として、ドラマのテーマのひとつだった、"障害者の被害者意識"と"健常者の無意識の同情"ってことがすごく大きくて。
卑屈な人は、どんな手助けも同情ととるだろうし、仮にそれが本当に同情からくるものなら、誰だって哀れみの目を向けられるなんて嫌なことだと思うんです。逆にダメージを与えると思う。自分では苦に感じていない状況を、勝手に哀れまれるというのは、僕だったらすごく嫌なんですわ。
そこで、自分の気持ちの純度を計る時間ができてしまうわけですねー。まぁu_ziqも言ってくれてるし自分でもわかっているんだけど、考え過ぎなんだな。直感タイプのタイプの人間になりたーい。
says
すごいねーおもしろい!!みんな色々考えてるねんなー!あたしそんなん考えたことないわ!だって瞬発力の塊やもん。
けど人間って100%人のためだけに動けないんやって!
お葬式で泣くのは自分がさみしいから。
弱い人を助けるのは自分の満足感みたいな。
ってなんかの本に書いてたよ~。不純物の濃さは個人によって違うんやろけどまるっきり他人のために動くなんてできないんだそーな。でも心の中でどう思ってようが思われてようがいいことした人はえらいよー
あたしは親切されたらうれしいよ。
あたしこの議題、ちゃんと的えてる?
難しい議題なので不安…。
says
tie>>
僕にとって対極にいるYouからのコメントは非常におもしろいですよ。
ホンマいろんなことに対して瞬発力あるねー、Youは。本当感心する。羨ましい時あるもの。
やっぱり、純度100%LOVEはないのかな。
だって、本当に誰かのために何かをしてあげたいと思っても、それ自体が、自分の"してあげたい欲"を満たすためのものだとも思うしね。
いや、本当難しいよね~。
says
「人とはすべて己の欲望の為だけに生きていて、すべての行動はその欲望を満たす為だけにとられる。」
過去そんな仮説をたててみました。
困ってる人に手を差し伸べようが、人を愛しようが、結局は100%自分の欲望/利益の為だけにしていることなんだと、そう当てはめることにしました。
そうすると今まで漠然とした「愛情」「親切心」から「気の迷い」やら何やら、理解しやすくなった気がします。
愛情とはKOZZYの言う”してあげたい欲”を満たすみたいな。
”相手の喜ぶ顔を見たい欲”に”楽しい時間を共有したい欲”など愛情なんて純度100%欲望に置き換えてしまって…
says
でもそれが決して悪いことだとは思わない。
人が食欲を満たすのに、肉を食べるならその動物に感謝しこそすれ「俺は動物の命を奪う悪い人間だ」とかいちいち考えないし、睡眠欲を満たすのに「なんで俺は欲に負けて寝ちまったんだ」なんて思わないように、むしろ欲望がなかったら、人間空っぽになってしまう。
自分のした事でその場が上手くいったらいいし、そうでなければ次に出会う機会にその借りを返す。
それで出来ればトータルすると、自分の満たした欲望よりも、相手に満たしてもらった欲望の方がちょっぴり上になることを目指している、欲望たっぷりの佳人でした。
てかこのコメント、文字数制限有るんやね…知らなんだ。二回に分けました。長文失礼しました。
says
無意識で同情しているかどうか、難しい問題ですよね。人間が何かと比較することで価値観を見いだす動物である以上僕はもう仕様がないかなと思うようにしています。
やから僕は問題は距離感だろうなって。状況や立場や相手やその問題によってむちゃくちゃ細かく変わってしまうものやし近過ぎても遠過ぎてもだめやから難しいし完璧もないし。同情されてると感じるのもその距離感のとり方なんかなって思っています。人付き合いや人助けがさらっと出来る人はこれが直感でうまいくできるんやろなって。
僕はいつも色々考え過ぎですわ、必ず一つ間があって大丈夫ですかと声をかけてしまう。ぱっと出来る人がほんとにうらやましいし凄いと思ってまいます。
says
難しい問題ってゆうか逡巡しはじめる止まらない問題ですよね、同じことで悩み続ける者としては答えなんてなかったので。
そういう時大切なことって、親切にした人がどう思っていようと、親切にしてもらった人にとっては+になってるかどうかだと思います。
人の心の中身ってゆうのは、きれいな面も汚い面も常に混然と混ざり合っていて
常に葛藤があると。
ただ、その時色々と考えをするだけして何もしなかったとしたら、少なくともその事に対して何かをいう資格はなくなるんじゃないだろうか。何もしないということを結局選択しているんだから。
だから、例えどんなことを考えていようと何かをしたということは大切なことだと思う。少なくとも親切にしてもらった人は嬉しかったと思うので。
says
もう一つ、直感的に見えるからといって本当に直感的にしか動いていないか、考え込んでいないかっていったらそれは別問題な気がする。人の心の中身なんてどんなに気心がしれている仲でも全てがみえるわけではないし、人にみせている様が全てではないと思うから。
長々とごめんなさい。。
文字数制限あったんやねぇ。。
僕もしらんかった。
says
佳人さん>>
すんません。結構文字数制限厳しかったでしょ。
そうなんですよね。
人間なんてもんは所詮動物なんですから、全ては欲望を満たすための行動なのかも知れませんね。いらん知能が発達し過ぎただけかも。
おっしゃる通り、自分の欲も満たせて相手が喜んでくれるに越したことは無いんですなー。
でも、ちょい先輩であるヨッシーも、こんなこと考えたことがあったんですね。僕だけじゃないんや、と安心しましたわ。
says
女将○○>>
元チーム・ネガティブだった俺らは考えてしまうよねー。
状況や立場っていう要因は大いに関係してるやろうね。
どれだけ純度の高い親切心でも、相手が卑屈な人だとそれは伝わらないし、卑屈じゃない人でも、手を貸してくれる相手によっては、それを素直に受け入れられない。
自分にもそんなとこあるなー。反省。
says
だてさん>>
鬼の行動力とガラスのハートを併せ持つ、だて氏らしいご意見ですね。
"とりあえずやってみる"というのは、だて氏が常々おっしゃってることですし、僕もそこに行き着きそうです。
バッターボックスに立たない限り、三振さえもできない、ってことですな。
直感型=考えていない、っていうのは僕も少し違うと思ってますねん。答えを出すまでの時間がすごく早いってことなのかな?ハッキリとはわからないけど。
まぁとにかく僕は、直感と変わらないぐらいのスピードで、手を差し伸べれるようになりたいと思いますわ。
says
『情けは人のためならず』←ことわざ
ですね。
他人に親切にしていれば回り回って自分にも良い事がある、自分の為だと思い人には優しく。
まさに!!
因に、このことわざの由来は、
「他人に親切にするのは、その人のためにやるのではないとゆうこと」
そんなことを考えると、ことわざになるくらいに皆が悩む、心の微妙なトコロの問題なのでしょうね。そんな悶々としたものを持った人が沢山居るうちは世の中捨てたもんじゃないですよね。
says
親切の押し付けになったとて、その時に優しい気持ちになれたのなら良いじゃないですか、優しい気持ちが伝わったのならそれほどの幸せはありませんよ。
そういう『深切』って人の一日、一週間、一ヶ月、一年、一生をも豊かな気持ちにする力を時に持っているような気がします。
自分の時間を無償に奉仕する精神が極みと思っていますがなかなかできるものではござーせん。
まずは【一日一膳】
心掛けたいものですね・・・
says
YouMe>>
『情けは人のためならず』なんて諺があったのね。
ちょっと感動。だって昔の人も、こんなFuckin' HIKIKOMORI BOYと同じように悩んでいたなんて。今回、いろんな人が書き込んでくれたけど、みんなも同じようなことを考えてる、もしくは考えたことがあるみたいやしね。本当言われてみれば、世の中捨てたもんじゃないかもね。
"優しい気持ちが伝わったのなら、それほど幸せなことはない"というのは、まさにYouMeのお仕事の醍醐味ですよね。そんな気持ちをずっと持ち続けられると素敵ですね。
僕も、迷いなく【一日一膳】を実行できるようにしていきたいと思いますでございます。













u_ziq says
KOZZYさん瞬発力なさそうっすねw
読んでて思ったのはナンパに似てるなと思いました。
ていうのも、アクション事態極めてシンプル「今何してるんですかー」みたいな第一声をかけるだけ。
うまくいくかどうかはケースバイケース。ほぼ9割うまくいかない。
二度と会うことのない他人だし、相手の事なんて基本どうでもいい。よって、失う物なんてない。
そういう気持ちとスタンスで女の子と話する事が好きなやつならさらっとするんですよね。
人助けもナンパの目的とか成功率とかはは関係ないけど、そういった気持ちとスタンスで人助けが好きな人ならさらっとやりますよね。
ナンパも人助けもLOVEの押し付けであろうと、自己満、偽善であろうと、相手が不快感を感じたとしても、悪い記憶はそうは相手に残らないのではないかと。
さらっとできる人たちと僕らの違いは、考えすぎなのではないかと。第3者の目を僕らは気にしすぎかと思うんですよね。
05:03 PM - December 18, 2005 返信