英二さん、お久しぶりです(引用:松ちゃんによる『とんぼ』の哀川翔の真似)。
いや~、全然更新できませんでしたよ~。新しい職場に来て、辛くて辛くて......ウソウソ。このブログがなかなか更新されてなくて、「Kozzy、新天地でうまくいってないんじゃないの!?」なんて心配をしてくれた人も超少数いたみたいですが、そんな心配をよそに新天地での楽しい毎日を過ごしてますよ。
この会社でなら、この人たちとなら、いろんなことを吸収できそうだし、僕が還元できるものも少なからずありそう。幹部の方以外では僕が年長になるんだけど(この業界、若い子多し!)、それだけに、新人のクセにおこがましいかも知れないけど、DTPや他のWeb製作の現場での経験なり、僕の薄~い薄~い人生での経験なり、音楽やお笑いのような趣味的なことまで、会社に対して良い意味での刺激や新しいエッセンスを与えれるんじゃないかとも思います。みんなより歳食ってる分、そうじゃなきゃダメだとも思うし。当然、押し付けはしないぜ。僕が教えてもらうこともたくさんあるんだから。
話は変わって、3日の土曜日。前の前の職場の同僚の結婚パーティー(所謂2次会)に行ってきた。かつて苦楽をともにした同僚は、優しそうな旦那さんの横ですごく幸せそうだったし、以前の職場の後輩や同僚や先輩たちも大勢来てたし、僕にとっても凄く楽しくてHappyな時間だった。
以前の職場の人とは、会社を辞めた今でもたまに遊んでいる。沖縄料理を食べに行ったり、BBQしたり、フットサルしたり、サッカー観戦に行ったり。
みんなも僕も、お互い製作の現場で飯を食ってるんでやっぱりそれなりに忙しい。だから1年ぶりぐらいに会う人だっている。だけど、そんな場合でも、以前毎日顔を合わせていたときと同じように接することができるし、接してくれる。
不思議なことです。28年くらい生きてきて、学校や職場でいろんな人と時間をともにしてきたけれど、そうやっていつまでも繋がっている気がする人と、そうでない人がいる。単純に一緒にいた時間とは関係なく。年齢も、性別も、国籍も、既婚・未婚も関係なく。場合によっちゃ、性格が全く合わなかった人にだってそんな深い繋がりを感じることだってあるね。
まだまだ若造の僕に、人が人に対してそんな風に感じるメカニズムなんてまだまだわからないけれど、ひとつ思い当たるのは、僕がそういう風に深い繋がりを感じるのは、お互いが真剣に向き合った人に対してだけじゃないかと。抽象的かも知れないけど、真剣というか、ウソのない態度というか、その辺のニュアンスは難しいんだけど。それは自分だけがそういう態度でもダメだし、もちろん相手だけがそうでもダメ。お互いが本音の部分で向き合っているなぁと感じれた場合だけ。大抵の場合が、それは無意識下で捉えられているものかも知れないけど。
だから、性格が全然合わなくて、普段遊ぶこともなかった人にだって、深い繋がりを感じたりするのかも知れません。それは、仕事のことでぶつかったり、協力し合って大きな危機を乗り越えたり、否が応でもお互いが素にならなければならない時間を共有した人だったりします。
ダメだとは思うけど、やっぱり僕には嫌いなタイプというのが存在します。だけど、先述のようにお互いウソのない時間を少しばかり共有できれば、多少性格の合わない人とでも、この人と出会えて良かった、と感じれるんじゃないかと思う。言い忘れてたけど、大事なのは相手をリスペクトする気持ちは必ず持ち合わせてないとダメだけどね。
そんなことを考えてると、ベタかも知れないけど、いろんな人との出会いは大きな財産となるのではないかと思うね。
8月まで勤めていた会社の先輩が辞めるときにくれた手紙の中に、「デザインは外へ アートは内へ 旅をするようなものです」という言葉があった。
アートならば、[作品=作者自身]でも一向に構わない。自分の心の中を旅し続け、そこで見た、出会った、様々な景色や人や言葉を、譜面やキャンバスや印画紙に焼きつけていく。他者の意志やコマーシャルなんてFuck Off!! ですよ。
しかし、デザインはクライアントのニーズや世間の流行も汲みつつ、自分というフィルターを通してそれらをベターな形でアウトプットしていくもの(ベストな形と言えないのが悲しいぜ......)。
そうなると、自分の中に情報を取り込むディバイスが多いに越したことはないし、様々な場所、人にアクセスできるネットワークの広さも重要になってくる。
ただ、それらによって得る多大な情報を処理する『自分』というマシンの処理能力には限界がある。だから、情報の特性の理解や目的に応じたベターなチョイスをするという意味での『リテラシー』が必要なのは明らか。進研ゼミの目指すところは、この情報過多の時代にいいとこ突いてんじゃねーの。
しかし僕は、『リテラシー』なんて言うと高度なスキルのように感じます。要領よく生きていける素質のある人のデフォルトのスキルなんじゃないかと。そんなスキルが勉強で手に入れられるのか? ってさ。
僕個人的には、先述した通り、一つ一つの経験、出会いと真剣に向き合うことでしか、そのスキルは磨かれないんじゃなかと思っています。
そういった意味では、クリエイティブの世界でよく言われる、遊ばないといけないとか、友達が多くないといけないとか、たくさん映画を見たり読書したりしないといけないとかは必ずしもその言葉の直接の意味ではないと思ってます。
僕は、こうしなくちゃいけないって状況になると、例え好きなものでも嫌いになる、ややこしい性格のオッサンなんで、その辺のクリエイターとしての資質を持ち合わせていない分、自分の仕事に対する適性について悩むことが多いんだけど、最近、歳を重ねてきてその言葉の本当の意味が見えてきたような気がする。それが正解かどうかは知んないけどね。だけど、一つ一つを適当にこなしてちゃ意味ないじゃん。数と質のバランスだと思うんだよねー。
コメント
says
いやー、ためになるブログっすね。
中盤の話は、もはや『タイマン張ったらダチじゃい!』の感覚っすね。
「デザインは外へ アートは内へ 旅をするようなものです」なんかカッコいいし!
says
そうそう!待ってましたよ!この日記。
なんや、忙しくて忙しくて死んでるんではないか?職場面白くないんではないか?って思ってました。でも此れ読んで安心しました。相変わらずのkozzy節。
YES!!
says
>>u_ziq
俺も立地や取り扱い案件から、これはu_ziqの職場じゃないかな? ってとこを何回か見たことあるね。
『リテラシー』ってすごく広義で使われてるよね。専門学生だった8~9年くらい前から耳にし始めたけど、この言葉に対する認識はいつも曖昧やったわ。最近はPCの世界に限らず使われ始めてるな。
うん、素質とは関係なく身に付けることができる能力ってイメージはわかるんやけどね。氾濫する情報の中から取捨選択して知識を高めるって意味に限った場合では、それって経験がもの言うんちゃうん!? って歳寄りは思っちゃうわけよ。
俺的には、君のブログを読んでると、リテラシー高いなぁとか思うわ~。
says
>>G a.k.a kass
滅相もございません。
『タイマン張ったらダチじゃい!』はね、マジでそのイメージやったんすよ! さすが分かってはりますわ。学ランで殴りあいの末、「おまえのパンチ効いたぜ」「バカヤロー、テメーのだって……」at 土手 をイメージしてましたもん。
あれってあながち間違ってない気するな~。
>>mormot
Thanxxx。まぁ忙しいっちゃあ忙しいんかなぁ。製作の現場しかわからんから、当たり前な感じやね。仕事はね、あっこに比べりゃ超良いよ。俺はまだそんなに高度な仕事はしてないけど、未来にかすかな希望は出てきたね。そこがあっことは大違いやな。
おぬしと仕事できる日を楽しみにしとるぜ!













u_ziq says
久々のブログっすね。
コジーさんの勤めてるっぽい所をFind Jobで見つけました。サイトの印象からですが、少数精鋭って感じで今は小さいけどおもしろいチームになりそうだなっていう雰囲気を感じました。
デザインリテラシーって言葉からすると素質とか関係ないところの知識、経験って印象を受けます。
僕も実務でもこれが必要なんだなって思いますわ。
なぜこのデザインはいいと思ったのかっていう意識を持ちながらリテラシーを高めつつ、それを柔軟性を持ちつつベターな形でアウトプットしていって形としてしっかりお客の目的を達成できていれば、WEBデザイナーという職種では一人前なんだなと考えています。
新天地でこれからもがんばってください。では!
07:17 PM - November 5, 2006 返信