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今日、会社で昼ご飯を食べてると、ふとある人のことを思い出しました。
もうずっと忘れていた人のことです。

しばらくの間、なぜ急にその人のことを思い出したのかを考えました。それよりも、なぜ僕はその人のことをずっと思い出さなかったんだろうという思いの方が強いのですが。

今、なぜその人のことを急に思い出したのかわかった気がします。

何か思い出せないとき、それに至るまでの一連の行動を丁寧に辿っていきますよね。それです。それ。
それでいくと、

  1. 会社に来る途中にhitotsubuで買ったおにぎりを食べながら、『広告批評』のある記事を読む。
  2. 日常的な思いを綴ったその記事から、あぁブログ更新しなくちゃなぁって思う。
  3. ん?なぜブログを更新しなくちゃならんのだ?と疑問が。
  4. 確か僕は、昔ある雑誌が発行していたメルマガに書かれていたライターさんの日常を綴った記事を読んで、なぜだか安堵や共感や温かさを感じていて、そういう行為にすごく興味を持った、ということを思い出す。
  5. あ、あのライターさん......

ってな具合。あぁちょっとスッキリした。

その人との出会いは、というか結局一度も会えなかったのだが、少なからず僕の今やっている仕事にも影響している。

その人を知ったのは、面接を受けたくらい大好きだったある雑誌の編集後記で。
僕はその雑誌が大好きだったので、毎号毎号隅から隅まで読みつくしていた。そして編集後記も例に漏れず。
そこで知ったその人は、特別興味の対象ではなかった。その雑誌の編集に携わる一人のライターさんだ。

その雑誌があるときからメールマガジンを発行し始めた。関西を中心としたファッション・カルチャー誌だったので、ショップやクラブイベントの情報はもちろん、編集に携わっている人たちの日記みたいなのも載っていた。
それは持ち回りなのか、号ごとに書く人が代わり、その人もその中の一人だった。

僕はそのメルマガが好きだった。ただ今日どんなものを食べたとか、今日仕事から帰ったらあのビデオを観ようだとか、本当に誰にでも日常で起こる些細な出来事や思いを綴ってるだけ。
それが僕は好きだった。大好きな雑誌に携わる人たちの日常も、大して僕らと変わらないんだ。こんな悩みがあるんだ、こんなことで喜ぶんだ、悲しむんだ、なんて変な安堵や共感を得たのです。

ある時期から、ほぼその人しか記事を書かなくなりました。僕としては、出版の世界なんでさぞみんな忙しいんだろうなぁ、なんて思ったぐらい。

あるとき届いた号で、その人が、その当時始まったアメリカのアフガニスタン侵攻について書きました。簡単に言うと『報復』という行為への疑問みたいなものか。
僕は、あぁこの雑誌の人たちらしいなぁって思った。嬉しかった。ただそういったイデオロギーをメディアに乗せていいものかとも考えた。悪いってことじゃなくて、この人の立場は大丈夫なんかい!?ってこと。

僕は初めてそのメルマガの感想のメールを書きました。その人に向けて。「僕も同じように思います。だけどどうしていいのかわからない」みたいなこと。

その人から返事が来ました。「私もそうです。言葉を発信できる立場にいるのに、その難しさを感じていると。編集部でもあまり理解や共感を得れない」と。

そんなこんなで、「へぇ、やっぱりそうなんですねぇ」とか「今こんな抗議活動が行われているみたいですよ」とか3回ぐらいやりとりした。

でもまぁこんな僕なんで、具体的なアクションを起こすほど行動力やイデオロギーもなく、なぜかメルマガの発行も不定期になって遂にはなくなり、その人とのそんなやりとりもなくなりました。

時は経ち、いろいろあって僕はその雑誌に携わる人たちと交流を持つようになっていました。

あるとき、その人をよく知る人に前述のような交流があったことを話しました。
そこで、その人が病気で亡くなられたということを知りました。そしてその人が、僕がただのメールでのやりとりからだけれどもしっかりと感じとれた正義感や真面目さを、実際に強く持っていた人だったことも知りました。

ショックでした。会ったこともないけれどすごく会ってみたかった。実際に話してみたかった。一緒に仕事してみたかった。

その後、またその人のことをよく知る人である例の雑誌の編集長だった人と話す機会があり、そのライターさんとの交流の話をしました。

そこでは、闘病中の彼女を励まそうと編集長が彼女にメルマガの仕事を一任したこと、彼女がメルマガで自分の政治思想を語ったことに対してすごく怒ったこと、そして、彼女は最後まで前を向いて病気と闘っていたという話を聞きました。

ますます会ってみたかったという思いが強くなりました。
次に、その人とのほんの少しの交流を僕は忘れちゃいけないと思いました。その人みたいに仕事や人生と向き合っていきたいと思いました。

それなのに、今日の昼までもうしばらくその人のことを忘れていました。特にそのことに対してひどく落ち込んでいる訳ではありません。僕の頭や心のキャパなんて知れてるし、人間は忘れるものだと思ってる。だから自分のことを忘れて欲しくないって思うんだと思う。

考えてみると、僕はその頃ある程度自分の行動が結果に結びついた時期で、今でも自慢できる良い思い出がたくさんあります。しかし、それと同じくらい大きな痛い思いもしました。今でもたまにズキズキします。

その人との交流の思い出は、その時期の思い出の真ん中らへんにある。
僕は、その思い出も他の思い出と一緒にずっと蓋に下に隠したままだったんです。

しかし今日ふとした瞬間にその蓋の隙間から、それを見つけた。
良かった。また見つけれて本当に良かった。

またいつか忘れるかも知れないけど、しばらくは目のつくところにおいておこう。
何かにつまづいたとき、一度それを見つめてみたいと思います。
だからいまこうやって書いてるんです。

思い出アーカイブ。

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