僕は求められることが苦手です。理由のひとつとしては応えられる自信がないってこともあるでしょう。あとは単純に自分の天の邪鬼な部分。

たまに人から「天の邪鬼だね」、「反抗したがるね」と言われます。

会社の上司に信じられないくらいフラットに物事と向き合う人がいます。スーパーフラットです。
スーパーフラットというのは単純明快で簡単に見える姿勢ではあるけど、それをキープするのは非常に難しい。
人間は何もしなくても、周囲の環境やメディアや人間からいろんな情報や感情を与えられます。特に最近ではメディアから一方的に送られてくるそれらの量は計り知れません。 また人間は一般的に、人生経験を積み重ねるごとに防衛本能を過剰に働かせるようになり、どんどん警戒心を強めていくものなんじゃないかと思います。

そんななか、右にも左にも寄らずにリベラルの立場を保つのはすごく難しい。むしろリベラルというのは極右や極左と同じく"極中"という実は非常に確立された思想のもと、必死に守り抜かないとキープできない姿勢なんじゃないかと思います。
またスーパーフラットでいるということは、新たな体験が目の前に現れたとき、例えそれが経験や知識上ある程度どんなものか予測できたとしても、一度は受け入れてみてからその真価をはかるということではないかと思うのです。それは八方美人だとかノンポリシーだともとられかねない姿勢です。僕の知る限り社会ではそれは大きなリスクだと思います。精神的に。

そういったリスクを負いたくないが故、僕は常にリベラルやフラットでいたいと思う一方、まだまだ本当の意味でのそれらにはなれていないのです。ただの極中です。
与えられたベクトルに対して、正反対にそれらを働かせないと均衡できない、つまりそこまでしてフラットという自分の姿勢を示さないといけないと思っているからです。天の邪鬼で反抗したがるヤツと見られても当然です。

考えてみると、そんなことは誰にも示さなくてもいいんです。僕を必要として与えられるベクトルはどんな方向と大きさなのかわからないけど、それが僕の目指す場所と近いところを指していて力を借りるに足る大きさなら、周りにどう思われようがそれに合流すべきなんだと思います。自分さえブレてなければいいんです。

そうやって考えを整理できると、単純に僕に何かを求められることは、例えそれが自分には応えられないことであったり、自分の向かうべき場所と違う行き先を示されたとしても、その思いだけは単純にありがたいと思えるようになりました。まだまだそれを重たく思ったり不自由に感じたりすることもあるだろうけど。

せっかくの転機です。
今こそ本当の意味でのフラットになって、自分の行き先やともに歩く人を考えてみたいと思います。

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