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MY ROOM IS MY WORLD | 2008 October
『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』 著者:松本哉
少し前に、『雨宮処凛の闘争ダイアリー』の感想を書きました。あの本は、プレカリアート(非正規雇用者とかニートなど)の生きる権利を奪還するための本でした。簡単に言うと労働環境の整備を訴えるものだと言えます。あくまで、雇い主がいて、その下で働いてお金をもらうことを前提として生きていこうとしている人の話です。
この本は違います。いかに政府や大企業の思惑の外で勝手に生きていくかを書いたものです。法整備やセーフティネットを訴えるものではない。
「衣食住をいかにお金をかけずにカバーするか」
こうやって書くと、巷に溢れるただのケチケチ節約本みたいで、さもしみったれた内容かと思いがちですが、この本を読んでいると、
- 実は使わなくていいお金ってたくさんあるんじゃない?
- あれ、これって誰かの思惑に乗っけられてるんじゃね?
- ホンマや!これって俺たちの権利でしょ!
ってことに気づく。お金の使い方を考え、行使すべき権利を掲げないとって思い始める。そうなると社会と自分との接点を見いだせ、頭を使った消費生活(節約)が楽しくなってきます。それが社会活動になるんだから。
衣食住の節約術なんてのは序の口で、その後は、地域との関わり方、政治への参加(デモ、立候補!)と繋がっていきます。
僕みたいにこんな歳になっても、政治なんて興味ねーし重いよって人はたくさんいるけど、この本で紹介されている著者の松本哉さんの活動はめちゃめちゃおもしろくて、自然と興味をひき付けられます。
大人数のデモを申請しておきながら、わざとすっぽかして警察を激怒させたり、区議会議員に立候補して選挙カーを使った爆音デモ(一応選挙運動)を繰り広げたり。センスがあるね。要は、基本的な思想としては右とか左とかリベラルではなく「勝手に生きさせろ」ってことだから。
ただ、右の人も左の人もアナーキーな人も、思想自体はさておき表現が非常にラジカルなのが僕的には気になる。大勢の心を射抜くには、言葉の矢先を鋭くしないといけないのかも知れないけど、あまりに無差別だと誰もそこに近づきたがらない。怖がらせるだけだと思う。
この本の場合だと、著者たちから見た資本主義社会に乗せられている人(一般消費者)全てを無条件に標的にしているように見える表現がある。なんかこう、初めて会っていきなりどつかれるみたいな、「なんやねん、おまえ!」的な気持ちになる人もいると思うな。
まぁそれも覚悟の上の表現なのかもねぇ。どんなメッセージを届けたいのか?どれくらいの範囲に届けたいのか?じゃあどう表現するのか?デザインの難しいところです......。
まぁ、何はともあれ、結局は最後まで楽しく読める「勝手に生きていく」ために非常に実用的な本でした。
先日、昔勤めていた会社の同僚たちとお茶しました。僕以外の二人は性格こそ違えど、どちらも表現者としての熱さや欲望を持っている。本能からそれを必要としてる感じ。まぁ言わばアーティストなんよ。
そんな二人や、僕の周りのアーティスティックな人たちと話していると、よく自分のことが見えてくる。冷静になれる。
その二人とも話していたんだけど、アートとされるもの、例えば絵でも写真でも壷でも、それは「本能から染み出たもの」であるべきなんじゃないかということ。絶対にアートとはそういうもの!ってことじゃないけどね。
僕はそういうタイプではない。本能をぶちまけるのが得意ではない。僕の場合、何事もロジカルに考え、整理したがり、意図や目的を知ろうとする。だからアートよりデザインを選んだんだと思う(後々考えればだけどね)。
これもそのとき話していたんだけど、「『役割』ってあるよな」って。例えばWebデザインの基本的な役割は、クライアントの要望や意図や情報を、届けたいユーザーへ届くように整理・再構築して届ける、ってことだと思う。
言わばデザインってのは、Aの言葉をBにわかるように通訳したり、CからDに行く道筋を立てたり、EがFになれるような仕組みを作る作業だと思います。要はデザインとは「問題解決」です。Webもグラフィックもファッションもランドスケープも、ほとんどのデザインはそれらに当てはまると思います。
「デザイン」という言葉は、一般の人が思うより広義なもので、僕自身それに気づきだしてからは、どんどんやりたいことややるべきことが、よく見えてきた気がしています。
そう考えると、例えばある孤島に飢餓に苦しむ人がいたら、飢えから救おうと単純に魚を穫ってあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげることがデザインなんだと思います。根本から解決する。それは必然的に長期的で持続性のあるものを作ることにつながります。
そんな意味では、ぼくはまだまだデザインの本質に関われていません。
デザインはすごく難しい。

- コトニスト Kass1さんです。いつだって本能垂れ流しです。え、コトニスト?コトニーをする人です。え、コトニー?「言葉を使ったオナニー」です。
こんなんさ。Throw Up -kass1 In Da House- 
- カヒミ・カリィくらい声が小さいベビースター。東京で写真を撮ってます。
彼の写真はいいですよ。フォトギャラリー
『ライ麦畑でつかまえて』 著者:J・D・サリンジャー
ミヒャエル・エンデの『MOMO』やジャック・ケルアックの『ON THE ROAD』なんかに続く、"KOZZY、今さらながら読ませていただきます、名作"シリーズです。
今回はJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(2003年)とどっちを読もうか迷ったのですが、まずはなるべく原作に近い時代感を感じてみたかったので、1964年の野崎孝訳の方を読みました。
今回読むまで、若者のバイブル的な本というイメージが強くあり、ベタに、大人社会に対して疑問を抱く若者の葛藤みたいなもんを描いたものなのかなぁなんて想像していました。
ちょっと予想外でした。確かに大人社会に疑問を抱く若者の葛藤を描いたものではあったんだけど、この物語の主人公の葛藤は必ずしも多くの若者の間で共有されているものではないと思う。この主人公はちょっと屈折してる。そして、まぁ毒舌!笑うてまうくらい(原作はスラング満載なんだろうな)。
しかし、まぁ僕だって屈折してるって言われたことはあるし、よくよく考えるとこの屈折や不信感こそ若者特有のものなんだな。ただ、昔も今も多くの若者の共感を呼んでいるにしては、だいぶラジカルな文体だなぁと思っただけです。
実際、おもしろかったんですよ。主人公のある三日間の物語なんだけど、読んでて景色が鮮やかに思い描けるし、数々の登場人物は、良いやつも悪いやつもみんな魅力的だった。
村上春樹訳の方だと、また印象が違うんだろうな。是非そっちもすごく読んでみたいな。

『猫のゆりかご』 著者:カート・ヴォネガット
昨年他界した現代アメリカ文学を代表する作家の一人といわれる、カート・ヴォネガットの1963年の作品です。内容はSF、書かれたのも45年も前なのに、超スッキリ読めました。
SF小説なので、荒唐無稽とも思える設定や台詞やアイテムがいろいろ登場しますが、そのどれもが戦後の世界が抱える様々な葛藤のメタファーであると解釈すると、ストーリーから振り落とされることなく没頭して最後まで読めました。
僕は村上春樹の『海辺のカフカ』が好きなんですが、彼がヴォネガットの影響を受けているというのはよくわかる気がしました。
今作が僕の初ヴォネガットでしたが、こりゃいい出会いになりました。

『やりすぎコージー』が衝撃のゴールデンタイム進出!しかも月9!
前身番組『やりにげコージー』時代から貫き通す、お笑い至上主義。
僕のお笑い好きの同志たちにもやりにげ時代からのファンは多い。そして良質な番組を計る上でひとつの指標となりつつある業界視聴率(同業者からの支持率)が高いというのも頷ける。小栗旬くんや僕の好きな関ジャニの横山とすばるも出演したことあんだから(ちなみに瑛太くんも番組観覧を熱望してるらしい)。あんなにエロくて、無名芸人が出てきて、メインキャストがふざけまくって好き放題の番組に。まずイケメン俳優やジャニーズ好きが好んで見る番組ではない。
昨今、視聴率だけが重視されるテレビ業界。毎日毎日クイズ番組がテレビ欄を乗っ取り、高学歴とおバカタレントが画面を埋めつくしてる。
お笑い番組はと言えば、ネタ番組が増えたとはいえ、モノマネやあるあるネタ中心のショートネタばかりを取り扱って、単発的な笑いを短時間に可能な限り詰め込める。
クイズやモノマネやあるあるネタの便利なところは、誰でもそこそこのクオリティが保てて、いつでも挿げ替えが可能、また半永久的にネタに困ることがないっつーこと。
まぁ高学歴タレントもおバカタレントもモノマネ芸人もあるあるネタ芸人も、その多くが近い将来に使い捨てられていくんだろう(もちろん生き残る才能もあるけどね)。そしてそんなタレントばかりを使って生命線をつなぐ番組はすぐに消えて、視聴者の記憶の片隅にも残らない。
僕は、良いコンテンツかどうかを判断するのにいくつかの基準を持っている。
お笑いに関して言うと、
- 思い出し笑いできるか?
- DVDやビデオでもう一度見たいと思うか?
- 数年後でも笑えるか?
これに該当しない代表的なものは、時事性のあるネタをする芸人やそれらを取り扱う番組だ。その時代、その時期だからこそ笑えたネタ、その時代を知らない世代が見ると何のことだかわからないネタ、今どれだけそれに該当しない良質なネタやコントがあるだろう?
もちろんモノマネやあるあるネタも好きなんだけど、あれは「おもしろい」んじゃなくて「たのしい」なんだ。それは極めて持続性の低いものだ。
アートや音楽のシーンだと、表現者は良いものをクリエイトして、体験者はその対価を払うのが理想とする健全なシーンのあり方だと思う。お笑い番組で言うと、リリースされるDVDがちゃんと売れるようなクオリティの番組を作らないと、一瞬の視聴率だけを必死で追いかける番組が始まっては消えするサイクルが永遠に続くんだろうな。そしてそのサイクルの加速度は増していく。
あかん、最近の僕のテレビライフにおける不満が爆発してしまった......とにかく、僕はゴールデンタイムに乗り込んだ『やりすぎコージー』とテレビ東京に希望を託しておるのです。大手キー局でないテレ東ならではの「やったったらええねん感」を爆発させてほしい。スポンサーより表現者のクリエイティビティを重んじてきた姿勢を、ゴールデンタイムでも貫いてほしい。
月9が裏で熱い青春劇を繰り広げようものなら、白熱すること請け合いのロッシー(野性爆弾)のオリジナルゲームをぶつけてやればいい!
月9が裏でダラダラ愛を語ろうものなら、シベリア文太の超絶難解なトークをぶつけてやればいい!
月9が裏で甘く愛を囁こうものなら、スッチーのとびっきりの猥談をぶつけてやればいい!
なんていいつつ、月9、見るけどね。まぁ、金や恋愛至上主義に汚染されてるテレビ業界をぶっ壊してほしいってことですよ、『やりすぎコージー』にさ。
まぁ僕的な『やりすぎコージー』の見所はと言えば、今ちゃんと東野にいじられる大橋さんです......結局女子アナか~い!大橋さん、好きっす。でもマジで、MCや千原兄弟が大橋さんをめちゃくちゃいじるとこは超おもしろい。
テレ東のアナウンサーは(ってほとんど知らないけど)他のキー局の女子アナと違って、出しゃばらないとこが良い!私がいじられることで番組が面白くなるんだったら、どうぞいじってください!的な姿勢が素晴らしい。
そういう意味で、同局の『モヤモヤさま~ず2』の大江さんもグッジョブ連発です。髪型、かわいいです。大江さん、好きっす。
- 後半でのふざけっぷりがハンパないです
















