7sensiz+
先週の土曜、大阪阿波座のゴーゴーコーヒー(夜はゴーゴーバー)に行ってきました。友人であるコトニストkass1さんがグラフィックデザイナーのSpelunkasさんと二人で『7sensiz+』という二人展を開いているからです。
kass1さんの作品は、グラフィティ、カリグラフィ、書道など様々なタイポグラフィのスタイルが混然としており、それらを紙であったり布であったり木であったりと様々なフォーマットに落とし込んでいきます。
その言葉が本来持つ意味、kass1さんがその言葉に乗せた思い、それらが伝わる最適なスタイルやフォーマットやマテリアルを組み合わせた結果、独自の作風が生まれているのではないかと思いました。
Spelunkasさんは「服」をフォーマットに、独自の感覚でチョイスしたキーワードを表現しています。Tシャツやスウェットやシャツなど、それぞれの言葉を表現するに相応しいフォーマットをチョイスし、その上にペイントや様々なプリント技法(あれはラバーとかシルクスクリーンなのかな?)を使い分けて、それぞれのキーワードを表現していました。
この『7sensiz+』は、今月28日まで行われてます(詳細)。
ミナミの喧噪から少し外れたロケーションもいいし、コーヒーもおいしいゴーゴーコーヒー。近くを通られた方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
体験
ここ2、3年、Webの仕事をしてから特によく考えるようになったことがあります。「体験」についてです。
これだけテクノロジーの発達した時代、例えば、少し前に書いた石川直樹さんのトークショーや今回の『7sensiz+』のような展覧会だと、そこに行かずとも、そこに居なくても、そこ居たのと同じ"ような"体験した感覚を得られると思うのです。
トークショーだとYouTubeにアップしたりポッドキャスティングしたり、展覧会だと作品をサイトに掲載することができます。おそらくそれらによって得られる「情報」は、それらが発信された現場に居た人とさほど変わらないものでしょう。
では、なぜ僕はそれでもそこに行こうとするのか、居ようとするのか、自分でもよく考えます。
回線に乗せることができない、プリントできない、そこに居合わせた人しか感じることができない、そこでしか体験できない何かがあるのか?
それは、アーティスト然とした美しい神秘的な言葉ではなんとなく言い表せそうな気もしますが、僕が言うとあまりに陳腐だし、それが適切であると言い切れる自信もない。ただただ、「そこに居合わせることの大切さ」や「そこでしか体験できない何か」をどこかに置き去りにして、このままWebの世界でクリエイトしていくことへの疑念が漠然とある。
もしかすると、将来的にはそこに居合わせずとも、居合わせた人と全く同じ体験ができるということをテクノロジーが実現してくれるのだろうか?
実は、Webで何かを表現していく人間としては、「そこに居合わせることの大切さ」や「そこでしか体験できない何か」だけを妄信するのではなく、それらを解決するテクノロジーへの希望も持たないといけないのかもなぁ。難しいな。














