どこまでも身のない会話
先日、お酒の席で友人2daaaaanが、「『新春テレビ放談2009』で、五月女ケイ子さんが『探偵!ナイトスクープ』について話してたで」とナイトスクープ大好きっ子の僕に言いました。
その会話の中で2daaaaanは、五月女ケイ子さんの性「五月女」を「さおとめ」と言ったと思い、僕はなぜかHey! Say! JUMPの八乙女光くんの「八乙女」という文字を思い浮かべ、「さおとめちゃうで、やおとめやで」と言いました。
さっき急にそのことを思い出し、あれ!? なんかおかしい......そもそも『新春テレビ放談2009』に出ていたあの人はなんて名字やったんや?と疑問に思って調べたところ、前述の通りそれは五月女ケイ子という人で、性「五月女」は「そおとめ」と読むことがわかりました。そしてそのとき、以前番組を観た直後にも同じことについて調べたことを思い出しました。ダメだ......年々、記憶力が衰えていっている。もうハードディスクがいっぱいかも知れない。
そっか、「そおとめ」が正解なら、もしかすると2daaaaanはあのとき実はちゃんと「さおとめ」じゃなく「そおとめ」と言っていたのかも知れないな。I'm Sorry。
とにかく正解は「そおとめ」でした。
その僕が「やおとめ」と言った飲みの席では、これまた僕が「大宮エリー」のことを「宮川ミーナやったっけ?」と言ったり、友人は友人で「しりあがり寿」の「寿」を「痔」と勘違いしていたらしく、ずっと「しりあがり・じ」と思っていたことを告白したり、麻生久美子のことを「あの貝パンの人?」と完全に武田久美子と間違えてるやつがいたり(稲中の田辺ミッチェル五郎の貝パン姿を思い浮かべた)、そのとなりでは麻生祐未と間違えてるやつがいて......。
俺らめちゃくちゃやな。
アートと企業と地域のデザイン
以前、チラッとだけ触れましたが、先日『「地域から見る、企業メセナの可能性」〜アートと企業と地域とのデザインを考える〜』というセミナーに行ってきました。
メセナとは、企業が資金を提供して文化、芸術活動を支援すること。Wikipediaより抜粋
であり、企業のCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)活動のひとつとして広く知られています。
今回のセミナーは、スピーカーの多くがアートNPOの立場の人だったせいか、企業のよるメセナのあり方を考えるというよりは、企業とアートNPO(など繋ぎ役)と地域の具体的な連携の仕方・仕組みを考えるというようなものでした。
しかし、こういったセミナーに参加した際のまとめ作業は面倒くさい......でも、それをしないと身にならない気もするしなぁ。
しかも、必ずしもテーマに対する答えがでるものではない。
なので、こんなときは箇条書きが一番。大分別府と大阪中之島のアート・プロジェクトの事例などを通して話し合われた、主要なテーマと答えを抜き出しました。
- 企業とアートNPOの良いコラボレーションとは?
-
- アートNPOの多様性を活かせる
- お互いが自慢し合える・学び合える関係
- 地元企業を通し、地域の歴史・文化を知ることができ、リスペクトできる
- 対等な関係。互いのミッション・責任を理解・共有し、プロジェクトの将来的価値をお互いの担保にできる
- 最初に(または段階ごとに)、関係者全員が同じテーブルにつき、目的・意図・責任などを共有できる。主要なタイミングでコンセンサスがとれている。
- この不況下、企業のCSRやメセナの予算確保のために、
アートNPOはなにをするのか? -
- そもそもお金を要求しない → 製品・技術などの提供でご協力いただく
- そもそもアートNPOから企業へプロジェクトにかかった人件費を請求することはない。アートNPOは、コンサル業などで管理費を賄っている
- 事業を通して、地域が豊かになる仕組みづくりに対して企業にご協力を得る、という考え方
- 共同で商品開発をするような感覚
- この不況下に、既存のシステムに乗せてものごとを考えることに疑問を感じている
- 参加者の意見・感想
-
- 街づくりにおいて、行政にアート・プロジェクトを提案しづらい(イメージできない)[街づくり関係者]
- 企業による地域貢献という考え方が、企業にも地域住民にも浸透していないのではないか
- 企業は、アートNPOに対してコンサル的な役割を求めているのが現実[企業関係者]
- ものごとが伝わる適切な大きさがあり、別府でのプロジェクトは、土地の大きさとプロジェクトの大きさが適切なのかも。大阪は大きすぎる。もっと伝え易い・掴み易い大きさに分散すべきかも[アートNPO関係者]
- 企業は「拡大」が目的。アートNPOは「アートを通し、土壌を豊かにする」が目的。そのなかで、いかに同じ未来を描き、共有できるかが鍵になる
という感じ。当然だよという意見、なるほどねという意見、そりゃ理想論だよという意見、いろいろだけど、それが飛び交う場の空気を感じれたのは、答えを得る以上に大切だったんじゃないかと思います。
またこの他にも、いくつか自分的なキーワードがありました。
まず、矢野紙器という天王寺にある企業とハコプロという障害者支援プロジェクトのコラボレーション事例の中で挙げられた、「ブリコラージュ」という考え方。
ブリコラージュとは、ありあわせのもので、新しい価値やものを生み出すという考え方。「ありあわせ」であり「まにあわせ」ではない。作りたいものが先にあって、それに必要なものを集めるのではなく、その場にあるもので生み出せる価値やものを考えるということ(かな?)。
もし説明が足りないと「まにあわせ」と捉えられてしまい、そこには「妥協」というニュアンスを帯びてきますが、決してそうではなく、あくまで"いかに冷蔵庫にある食材だけでおいしいものを作れるか"といった、ひとつの独立した考え方だと思います。
これって、実は、機能満載・サービス過多の時代のものづくりにおいては重要な考え方なんじゃないかと、僕的には新鮮でした。
そしてもう一つが、「三方よし」というキーワードです。
資本主義・市場原理主義の暴走による景気悪化を受け、共産党に入党する人が急激に増えていたり、現代のプレカリアートとシンクロした『蟹工船』が再評価されるなど、今まで現代社会においてはあくまでカウンター的思想だったものに、民意が集まりだしています。
激流に流される中、必死に掴んだ枝がたまたま共産党だったりプロレタリア文学だっただけという人も少なくないでしょうけど、多くの人が市場原理主義を疑い始めているのは確かです。
では、資本主義はダメなのか?企業は悪なのか?儲けちゃダメなのか?でも共産主義はちょっとなぁ......って無知な僕なんかは思うわけです。
そんな疑問に答えてくれたのが、セミナーで紹介されていた「三方よし」という近江商人の思想でした。
三方よしとは、
「売り手よし、買い手よし、世間よし」
つまり、商売において、自分の儲けばかりを考えるのではなく、相手のハッピー、そして社会全体のハッピーを考えないと、結局はダメなんだよ、っつーことでしょうか。
この三方よしは、
「実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり」
と説いた石田梅岩の『石門心学』と並び、CSRの原点とも言われているようです。
僕にとって「三方よし」や『石門心学』が新鮮に思えたのは、これらがただの仏教、神道、儒教などの宗教観に基づいた精神論・理想論ではなく、あくまで根幹にあるのが「ビジネスの持続的発展」だということです。これは、近年、注目されているソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)の登場やそのコンセプトにも似た説得力がありました。
そんなことを踏まえると、企業が単純にイメージ戦略としか捉えていない、企業の正義やCSRやメセナの本質を理解できていないCSR・メセナ活動は、必然的に持続性の低いものになるんじゃないかと思います。
この不況下、雇用する側は非難の矢面に立つことが多いでしょうけど、そんなときにもう一度、企業の正義みたいなものを掲げた判断が行われると、もしかすると何か突破口が開けるのですかね。僕は雇用する側になったことがないので、実際はそんな甘い話じゃないんでしょうけどね。
やっぱりうまくまとまらん......。
- 大阪アーツアポリア
- 事例としてご紹介されていたふしぎな水鳥をつくろう〜Bird Scape OSAKA2008〜など企画されているアートNPO
- 矢野紙器
- 大阪天王寺にある、まさにブリコラージュを体現されている素晴らしい企業です。grafともプロジェクトをやってたりします。
大阪の下町にこんな企業があることが本当に嬉しいですね。 - ハコプロ
障害のある人たちの表現から生まれた「ふしぎかわいい雑貨たち」をセレクトし、 さまざまな出会いの場面を創造していくクリエイティブ集団(ハコプロ「ハコプロ(ハコ・プロジェクト)とは?」より)
です。- BEPPU PROJECT
大分県別府市を活動拠点とするアートNPOで、現代芸術の紹介や教育普及活動、アートマネージャー育成講座、出版やリノベーションなど様々な事業(BEPPU PROJECT「BEPPU PROJECTの活動について」より)
を展開しています。
今年も『別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」』が開催されるなど、試行錯誤されながらもかなりアクティブに活動されています。












