ダウンタウンの松ちゃんと放送作家の高須さんのラジオ『放送室』がおもしろい。
二人の少年時代の話、時事ネタ、お笑い論、テレビ論と内容は多岐にわたる。
なかでも僕は芸人である松ちゃんと作家である高須さんのクリエイティブ論が大好きだ。
スポンサーのご機嫌取りと視聴率奪取に躍起にならざるを得ないテレビの世界で、自分たちの信じるおもしろいものを作り上げる難しさについてよく話しているんだけど、それがクリエイティブの末端にいる僕でさえすごく共感できるものなのだ。
アーティストタイプの松ちゃんは、半ばもうテレビの世界を諦めている。スポンサーや視聴者のご機嫌取りのための仕事なんていらん!やりたくない!って言う。
局と芸人・タレントの間に立つ高須さんは、辛い仕事もある程度割り切ってこなしている。いつか自分たちが最高におもしろいと思うことを実現するためにも、こんな仕事もせなあかんねん!我慢しよや!って言う。
あるなぁ、こんな光景。僕みたいな業界の端の端にいても似たような光景によく遭遇する。
そうか松ちゃんや高須さんぐらいの高みに行っても、まだそんな苦悩に苛まれるのかぁ......。
やっぱり市場経済の中で生きている限り、対等な関係で仕事するなんてあり得ないのかもな。お互いをプロとしてリスペクトし、それぞれがそれぞれの分野でのスペシャリティを最大限に発揮する最高の仕事って、日々世の中で生み出されるものの1〜5%ぐらいっぽいな。
仮に対等な関係として、お互いの仕事をリスペクトすると言っても、お互いの分野に対して無関心でいることではないし、意見してはいけないということではない。例えそれが越権であると思えても、どうしても言わなきゃいけないと思うことは言うべきだし、そこにリスペクトや真摯な思いがあれば、その瞬間はお互いの哲学がキンキン音を立ててぶつかるかもしれないけど、それによってプロジェクトはどんどん精錬され研磨され輝きを増していく......と、こんな話も「それもホンマ〜!?」「理想論じゃね!?」って疑いたくなってくる現実がある。ぶつかり合った結果、良いものができたと思えた経験があまりに少ない。
ぶつかり合うような場面はしょっちゅうあるけど、そこには主従関係があり、いや、主従関係があるのは当然なんだけど、それがものづくりにおける判断にも大きく影響し、お互いの力や哲学を疑い出しナメてかかり、両者はボロボロになり、ゴールを見失い、やっとの思いで完成したものは誰からも見向きもされず愛されず......。
素晴らしいものができあがるときの意見や哲学のぶつかり合いってのは、ぶつけ合ってる瞬間から「こりゃええもんができそうやな......」と多少予期できる空気があると思う。妙な手応えがある。
やっぱりそれは相手のプロとしての力や哲学をリスペクトし、信頼し合えてる場合だと思うんだけどなぁ。
先日、久しぶりに話した友人に、「例えお金をたくさん貰っても、奴隷みたいにはなりたくないね。嘘つくような仕事もしたくない」って言ってたら、「Kozzyさんはホンマ相変わらずですね」と言われた。
また違う友人と同じようなことを話していたときは「そうやって思えてたらKozzyは大丈夫や。それはきっと大事なことやで」と言われた。
彼らはたぶん良い意味で言ってくれたんだろうけど、僕はもう少し自分の立場や状況や力量をわきまえて、いろんなものごとを判断しなきゃいけないのかもなぁと後から少し反省。
まぁ松ちゃんや高須さんでも同じことで悩んでんだし、こんな苦悩はずっと付きまとってきて、それとうまく付き合えるやつが一流のプロってことなのかもね。












