ちゃんと
みんな、ちゃんとしとるね。
ちゃんと「サンジュウ」だし「オトナ」だ。
予測はしていたさ。
こんなことになるのは。
それでもさ、
実際少なからず寂しいもんだね。
以前、弟と話していた。
僕:「お前、最近音楽とか聴いてんか?」
弟:「そやな。まぁ昔よりはだいぶ減ったけど、一応。周り(友人)はもう全然やな。」
僕:「そうやろな。そうなるよな。でも俺はな、もうどうしようもないわ。別に抗ってるわけでもなく、変わられへん。止められへん。」
弟:「でもどうする?ホンマに一人になったとき。」
僕:「そうやな。それはきっとそう遠くない話やと思うな。そんときは、何か音楽なりファッションなりの価値観やテンションを共有できるコミュニティを見つけて入るなり作るなり、もしくはそれらに関連する仕事に就くかしないとなぁ。」
なんてことを。
僕にはまだ一緒にフジロックに行き、昔ほどマニアックにではないけど音楽の素晴らしさについて熱く語り、感動できる友人がいるだけ幸せなのかも知れない。
友人たちがちゃんとに「オトナ」なることは、「オトナ」になれない僕にとって多少の価値になることもある。
僕が僕のままでいることは、誰かの価値となり得るのだろうか?
一般的に「オトナ」にとって「トモダチ」とはどういうものなんだろう?
最近、オトンの友人が亡くなったけど、今オトンは何を思っているんだろう?
僕みたいにずっと地元で育ったわけじゃないし、僕らが生まれてからはほとんど仕事の人生だったと思うし、そんなオトンにとって「トモダチ」とはどんな存在なんだろう。
僕は今後の自分の人生を見据え、自分で選んだ道を進んでいくことにおいていろんな覚悟はできているつもりだけど、それでも今までの僕には必要不可欠だった「トモダチ」と、どう向き合えばいいのかが非常にグレーなんだな。
これ、別に批判でも自慢でも悲哀でも自虐でもない話ですよ。ネガティブな感情は全くありませんので。
単純な興味の話。
ハイスタ
ハイスタ。
いろんなことがあって、もう、本当に、絶対にダメだと僕は思ってた。
僕の中にいろいろ複雑な思いがあって、どうしても今の難波さんの音楽を聴く気持ちにはなれないし、健さんの音楽を聴くと、やっぱり難波さんや恒さんを思い出してしまう。
また3人で音楽を作ってくれのるかはわからない。
それでもいい。
また3人が「ハイスタ」でいてくれるのなら。












