Fly high
川村カオリさんがお亡くなりになりましたね。
今年は最高のロッカーたちが旅立っていきますね......。忌野清志郎さん、アベフトシさん(元ミッシェル・ガン・エレファント)、川村カオリさん。
僕は現実逃避なのか、「死」(特に病死)を「悲しい」こととするのが嫌いです。ちょっと違うかもしれないけど僕自身が「かわいそうに」と思われるのが嫌いだからかもしれない。「かわいそうに」って言う側が勝手に決めたことだと思うから。「かわいそうに」って何も解決しない気がするから。
だけど、やっぱり誰かが亡くなるとなんとも言えないこみ上げてくる感情はある。それは「寂しい」と表現する方が違和感がないのかもしれない。あぁまた一人僕の周りからいなくなったのか......って感覚。
それにしても、癌というやつは。
清志郎さんと川村さんは癌だったし、僕の周りでもがんで亡くなった人がいるし、今なお懸命に癌と闘っている人もいて、癌という病気にはいろいろ考えさせられます。
先日の「クローズアップ現代」は、働き盛りで癌の治療と仕事の両立に励む人の話だったみたいだし(ちなみにその前回は、癌を患った親がこどもに告知をするべきかどうかを考えるという話)、癌というのはこれだけ医学が発達した社会でもまだまだ難しい病気なんですね。
科学者や医者や患者や患者の家族以外は癌とは闘えないのでしょうか。
アホアホワールド
最近、偶然「多様性への寛容さ」を求めている人たちによく出会いました。
僕は自覚している部分もあるし、それほどでもないとも思っているのですが、まぁまぁな確立で「変わった人」(関西弁で言うと「へんこ」)的なニュアンスのことは言われます。それは本当に全然いいんです。
でも、「天の邪鬼」とか「ひねくれ者」と言われると「なんだかなぁ」と。
多くの人が好きだというものを自分は好きと思わなかったり、多くの人が当たり前だと思っていることに自分だけが疑問を持っていたりすると、大抵「天の邪鬼」的ニュアンスの言葉で片付けられます。
僕が最近出会った「多様性への寛容さ」を求めている人たちも、日常でそんな体験をしているようです。
例えば、いつもマジョリティ側に立っている人の多くが、自分の感覚・価値観以外の、例えば情報(ブームや"空気")だとかしがらみ(ヒエラルキー、コミュニティ)に大きく影響されてしまっていたり、何でも無思考に受け入れいていると仮定すれば、ある意味自分の感覚・価値観だけを信じてものごとを判断している人の方が真っ直ぐなんじゃないかと思います。これはあくまで仮定の話です。
そしてそういった意味じゃ残念ながら僕はそれほど変人ではない。中途半端なんすよねぇ。もっと変人ならアーティストにでもなれたかもしれないし、一歩間違えれば天才とも言われたかもしれない......。
やっぱり僕はいろんなことに縛られているんですね。
僕は「天の邪鬼のひねくれ者」の「ややこしいオッサン」でございます。
ただ、本当に「この人は不器用だなぁ」だとか「真っ直ぐ過ぎるなぁ」って人たちが周りにいて、その人たちはやっぱり自分の受け皿がないことに辛さを感じているようで、そんな世の中は僕にとってもすごく嫌です。
生産性や効率を追い求める社会では、やっぱり規格外のものは排除されるんだろうけど、それが行き過ぎるとおもろないことになる。天才や普通やアホも、女や男やそうでないやつも、肌の黒いやつや白いやつ黄色いやつも、いろんなやつがおっていいじゃないですか。バリエーションがあった方がおもろいに決まってる。
どんな時代もパラダイムシフトを起こすのは独自の価値観(必ずしも突飛な発想という意味ではない)を持った規格外なやつなんじゃないかと思います。
もちろんルールや生産性や効率も必要だけれど、もう少し多様性に寛容な社会になれば、アホなやつも増えて、世の中明るくなるかもしれないじゃないですか。
みんなでアホになりましょう。
Free your mind.
戸塚ヨットスクール
先日、Twitterで「戸塚ヨットスクール付近、すげー雨。傘持ってきてない」と呟いた友人がいて、それを見てすぐさま、僕の周りのお笑い好きの友人たちの間で今も語り継がれているガキ使の名企画「カツカレーはどこまでカツカレーか」を思い出しました。
この企画のアイスコーヒー版もおもろかったな〜。
欧陽菲菲で「オーヤンアイスコーヒー」!
- やっぱこれ、おもろいな〜!












